戦前の運動会では,オルガンを運動場の中央に置き,その周りを子どもたちが取り囲み,唱歌を歌いながら振り付けをして踊る,「唱歌遊戯」が実施されていた。本研究は,昭和前期(1926~1945年)の学校教育での「唱歌遊戯」の実践について考察したものである。まず第一に「学校体操教授要目」の変遷を考察し,「唱歌遊戯」が学校教育の中で位置付けられたことを明らかにした。次に『改正体操教授要目解説』(1936年)を取り上げ,伊津ェイの「唱歌遊戯」の作品を分析した。その結果,次の2 点が明らかとなった。
①作品の中には若干<自由・創造性>が見られたものの,大部分は<型>にはまった<動き>で構成されていること。
②<音楽>に関しては,歌の旋律よりも足のステップや歌詞の内容・意味を優先してしまい,<音楽>と<動き>との関連は薄いこと。