抄録
1898年9 月6 日から7 日にかけて,台風によって長時間続いた豪雨が,山梨県全体に甚大な洪水被害をもたらした。特に八ヶ岳南麓では, 7 日午前1 時30分ごろ土石流が発生し,大泉村谷戸で55人が死亡,51人が負傷した。この災害から120年あまりが経過し,土石流があったことのみならず,災害があったこと自体が多くの地元住民の記憶から忘れ去られている。著者は,発災直後に発行された新聞の記事,ならびに明治時代に編纂され宮内庁に保管されていた「諸国災害実況写真」および「暴風雨被害取調表」などの歴史資料を詳細に検討し,災害を引き起こした土石流の流路を推定した。さらに,Hyper KANAKO システムを用いて,被災地区およびその周辺についての土石流シミュレーションを行い,予想される土石流の流路と歴史資料から推定される流路とを相互に比較検討した。それらを基に,過去の災害と同様の土石流災害の危険が,今もこの地区に存在することを示唆する。