中山茂(1928~2014)は日本における最も創造的な科学技術史研究者のひとりであった.この小論では中山が,いわゆる科学技術立国史観について,どのように考えていたかを解明する.
中山は,科学技術立国論(テクノナショナリズム)に対しては,科学者・技術者や科学技術政策関係者による我田引水のための幼稚な議論だとして厳しく批判した.その批判は日本人の科学・技術関係者のみに向けられたものではなかった.とくに1980年代のレーガン政権下におけるアメリカの政府関係者たちの言説に対して,中山は晩年に至るまで繰り返し批判した.
それでも中山は1960年代より科学技術水準の国際比較,とりわけ日米比較に強い関心を抱き続けた.それは1980年代後半から晩年までの中山の中心的研究テーマであった現代日本の科学技術の社会史においても垣間見られる.その意味で中山は,科学技術力競争史観から自由ではなかった.