情報管理
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イノベーションを支援する知財情報:WIPOの戦略・政策・イニシアチブ
高木 善幸
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2016 年 59 巻 4 号 p. 218-225

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著者抄録

知的財産情報管理は世界知的所有権機関(WIPO)の戦略4本柱,新条約作成,グローバル保護登録サービスの提供,技術援助と人材養成,グローバルインフラの構築に反映されている。情報管理のためのシステムはプラットフォーム構築を中心に推進され,国際登録・出願のためのPCTやマドリッド制度の生み出す知財情報を流通させるシステムやネットワークとともに,途上国のデジタル情報作成普及のためのIPASや先進国特許審査国際協力のためのCASEなどのWIPOの新しいプラットフォームが,多国間の知財情報シェア・流通のための基盤として利用され,国際条約を補完する国際調和の推進力として期待されている。

1. はじめに

1873年のウィーン万国博覧会の際に,展示品が模倣されることを危惧して出展を拒否する発明家が続出した。このため,1883年にパリで,模倣を防ぎ,発明を保護するための国際条約(パリ条約)が締結された。その後,これがきっかけとなって,1893年に,パリ条約の国際事務局をスイスのベルンに設立した。これが,世界知的所有権機関(WIPO: World Intellectual Property Organization)の基礎となった。

なぜ,このような歴史をひもといて知的財産(知財)情報管理の話を始めるのか。イノベーションを推進しようというビジョンを掲げている知財専門の国連機関であるWIPOのDNAは,まさに,大切な情報を盗まれることを防止するという情報管理の国際的なルール確立にあるからである。このDNAは20世紀,今世紀初めまで一貫しており,なんら変わっていない。

ある統計によれば,先進国企業の所有する財産のうち,目に見えない財産の価値(財務統計では「goodwill」や「のれん代」などと呼ばれるもので,ほとんどが知財で守られている)が,この40年で着実に増加し,企業のバランスシートに知財情報を反映する必要が増したと分析されている。たとえば,米国企業の見えない財産の企業資産全体に占める割合は,1980年代には2割だったが,今世紀は8割を超えているとの調査報告がある1)。米国企業ほどではないにせよ,わが国の企業でも次第に知財の価値を増している。今世紀は,企業がグローバル化し,それらの知財の価値が大幅に増したため,企業の盛衰を決める戦略の一つは,グローバルな知財とその情報管理のあり方である。

グローバルな知財情報の管理はどのように進展していくのであろうか。本稿では,WIPOの戦略や政策を紹介して,今後の知財情報管理の行方を考える材料を提供したい。

2. WIPOが注力していること(戦略)

WIPOの現在の重点戦略は,次の4本柱である。

(1)知財分野の新条約の作成(3章で後述)

(2)グローバルな知財登録サービスの提供(4章で後述)

(3)特に途上国への技術援助と人材養成(5章で後述)

(4)グローバル知財インフラの構築(6章で後述)

特に最後の柱,(4)は2008年に追加された新しい戦略の柱であり,この10年間で最も拡大した活動である。また,これが情報管理にも最も関係している。それは,(1)の新条約の作成にしても,(2)の国際登録サービスにしても,(3)の各国・地域の知財制度の向上にしても,すべてが,データとそのグローバルな普及・伝播に支えられるようになってきたからである。

4本柱は一夜にして立たない。この2年間で,第2の柱であるグローバルな知財登録サービスが,大黒柱になってきた。

この柱を車になぞらえる。特許出願のための「PCT(特許協力条約:Patent Cooperation Treaty)」だけに依存する体制から,商標登録のための「マドリッド制度」の加盟国が100か国を超えたことにより,一輪車から二輪車となってバランスが取れてきた。途上国では,商標登録サービスが最も重要なサービスである国・地域が多く,WIPOサービスが途上国に役立っていることが,先進国と途上国の南北対立を緩和するための共通項となるからである。

また,第3の車輪として,意匠登録のための「ハーグ制度」が回り出した。2014年秋以来,日本・米国・韓国が立て続けに加入して件数が急増し,近々,中国・ロシア・英国・ASEANが加入予定だからである。

最後に,第4の車輪である地理的表示の国際登録のための「リスボン協定」だが,これはまだ空気圧が足りない財政パンク状態である。2016年,財政基盤の見直しを行う予定で,もし,これがうまくいけば,新大陸である欧州以外の国々が入りやすくなった2015年春成立のジュネーブアクト(ハーグ制度にはいくつかの「版」ともいえるアクトがあり,これは最新版のアクトである。古いアクトは,メンバー国が新しいアクトを批准し終わった後に閉鎖される)への批准が推進されるであろう。特許・商標・意匠・地理的表示の4輪駆動車としてバランスの取れたグローバルサービスが提供できるようになるには,まだ時間がかかるが,これから10年で達成できるめどがついてきた。

地政学的に広がったグローバルサービスを大黒柱として,グローバルインフラ構築の第4の柱と他の柱とを,それぞれ梁(はり)でブリッジすることが,これから10年の戦略である。すなわち,PCTやマドリッド制度などの国際登録サービスで生み出される利用者の情報を利用して,サービスをさらに向上させるためのインフラを構築していくリンクである。ちょうど,スマートフォン(スマホ)を使って注文する消費者の購買情報をビッグデータとして利用し,より顧客のニーズに応えるサービスを提供していくためのスマホに適した販売Webサイトシステムに調整していくことと同じような戦略である。初歩的段階であるが,知財サービスのIoTの始まりともいえる。

次に,冒頭で紹介した情報管理のDNAの話を具体的に説明するために,WIPO戦略第1の柱(新条約作成)が情報管理にどう関係しているかに触れる。

3. 情報管理も新条約作成を推進

この20年間にWIPOで成立した新条約において,情報流通のためのグローバルインフラの進展の結果,新たなビジネス形態が生まれて,これに対応するための規定が新条約にいくつも入ってきた。下記3つの条約がそれである。

(1)著作権に関する世界知的所有権機関条約

(2)実演およびレコードに関する世界知的所有権機関条約

(3)視聴覚的実演に関する北京条約

(1)および(2)は,1996年に成立して2002年に発効された条約である。(3)は2012年に成立し,近年中に発効が期待されている。

これら3つの条約は,俗にインターネット条約と称されている。それは,インターネットの普及に対応して,ネットでのコンテンツの配信をこれまでの古い条約でどのように読むのかという問いに対する答えを出したからである。

これらの新条約では,新しいビジネス形態の中で,これまではっきりとしていなかった著作権などの権利を新たに解釈し直した。たとえば,「公衆送信権(オンデマンドでのWeb配信による自動公衆送信権などを含む)」や「公衆伝達権(サッカーの実況中継をレストランの大スクリーンで見せることなど)」がそうである。これらの権利によって,ライセンスが成り立ち,契約が結ばれ, 無許可の模倣・ただ乗り・海賊行為が禁止される。これらは,20年前にはなかったオンデマンドなどのビジネス形態を反映したものである。保護されているのは,国内で流通するコンテンツだけでなく,日本でも楽しめる,ニューヨークのMETライブのオペラや,英プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドの試合など,グローバルに配信されているコンテンツを含んでいる。インターネットが国境を越えているので,国際的な統一解釈が必要となったのである。

これらのコンテンツは,動画を含む莫大(ばくだい)なデータであり,これが地球上を飛び交うグローバルなインフラによってリアルタイムで伝播している。それらの情報のグローバルな管理というビジネスニーズに応えることが,コンテンツビジネスの死活問題である。その背後には,多額の放送契約を結んで配信しているコンテンツが,ネット上や有線配信途上で盗まれる海賊行為が増えてきたことがある。140年ほど前の博覧会での情報漏えいが,今はサイバースペースでの情報剽窃にまで広がっている。

最近の新条約の成立は,途上国と先進国との間で政治的な対立が厳しくなっているため,主として,知財登録のための手続き的要件を各国・地域で調和・統一して,利用者の便宜に応えようという戦略に対する施策である。このため,国際登録や出願に関する条約で,すでに成立し実施されているPCT(特許)・マドリッド制度(商標)・ハーグ制度(意匠)の規則内容が毎年のように修正されている。これらは,第2の柱であるグローバルな登録サービスの法律的基盤である。

そこで,次は,第2の,そして大黒柱となってきた柱が,情報管理とどう関係しているのかについてみてみる。

4. 情報管理中心のグローバル登録

WIPOの第2の柱はグローバルな国際登録サービスの推進である。これと,知財情報がどのように関連しているかを説明する。世界中で特許・商標・意匠を簡単に安く登録したいというビジネスニーズに応えるために,国連専門機関としては異色であるが,ユーザーに直接,有料のサービス(たとえば,2章で紹介したPCT,マドリッド制度,ハーグ制度を利用してグローバルに知財権を登録したければ,出願人は国際出願を行うが,この際に国際出願料をWIPOに支払う)を提供している。また,この手数料収入がWIPOの約9割の収入を支えている。

これらの国際登録サービスが順次設立されてきた背景には,国際交易の発展に対応して,知財登録官庁もグローバルに連携する必要が出てきたにもかかわらず,国際郵便や通信がグローバルに展開できずに困難であったことがあげられる。そこで,一つの出願を世界100か国以上への出願や登録に「複製」し,送り先別に仕分けして,多数の副本を送達するといういわば郵便局の役割をWIPOが代行することが,重宝であった。媒体は紙からデータに置き換わって,いろいろな知財の保護は,出願人が卓上のコンピューターからデータを特許庁に送信し,それをWIPOにさらに送信して,WIPOは保護を求める国々の知財庁のサーバーにデータを送信するという流れとなっている。この情報の質・タイミング・流れ・法律的位置付けなどを条約や規則で確保して,100か国以上の知財権が究極的に1回の情報送信で適切に登録されるようなグローバルな情報管理をWIPOは行っているわけである。郵便局の役割は大幅に変わり,機密なデータの保護・管理を保証するグローバルインフラの提供と運営を任されているといえよう。

最近の一例を紹介すると,WIPOのePCTというPCTの電子出願のための情報システムが挙げられる。現在,日本特許庁を通じてPCTの電子出願を行うためのシステムを2019年ころまでに開始できるように開発中であるが,すでに出願した国際出願の経過を電子的に照会することは2015年から可能になっている。各国・地域で個別に機能するメインフレームシステムをつなげるというアーキテクチャーによらず,WIPOの本部がインターネットを通じて情報セキュリティーをグローバルに確立したネットワークを,グローバル・プラットフォームとして構築して使っているから可能となったのである。東京のオフィスから,出願人がePCTにアクセスして,自分の出願がどうなっているのか照会する場合,いろいろな国際的電子商取引サービスでもそうなっているように,WIPOのジュネーブにあるサーバーが即座に対応する。この出願人とWIPOとの間の双方的サービスによる出願情報管理は,すでに日本国の法的・技術的スペースを超えている。WIPOは地球儀的視点でサービスを保守している。

そこで次に,第3の「途上国への技術援助と人材養成」についてみてみよう。

5. ネットワーク化を目指す途上国援助

TPPが署名され,わが国は批准に向けて国会での審議も進んでいる。環太平洋諸国の知財制度の向上も見込まれる。TPPで注目されているのは,法律改正を必要とするところであるが,知財制度の向上はそれだけではなく,知財データの整備も国際義務として盛り込まれている。

たとえば,TPPでは、各国・地域の知財権公報のデータベースをインターネットでアクセス可能にすることが求められている。WIPOはWTOのTRIPS協定(ウルグアイ・ラウンド貿易交渉で締結された自由貿易推進のための国際ルールの中に,知的財産権の保護と権利執行に関する全73条からなる詳細な規定が盛り込まれたが,この部分をTrade-Related Aspects of Intellectual Property Rights (TRIPS)と称している)が途上国に適用された15年前くらいから,知財庁の強化のために技術援助や人材養成に力を入れてきた。最初は,法律の整備であったが,5年くらい前からは,知財庁の手続きの自動化が中心となった。

中国は知財制度の強化と電子化を他の途上国に先駆けて今世紀初めに成し遂げたが,それ以外の途上国の先端グループであるブラジル・インド・ASEANの先頭グループ(シンガポール,マレーシア,2016年からは,日本特許庁の支援を得てインドネシアにデジタル化で協力)は,知財情報の電子化がようやく始まったところで,昔の情報の電子化はまだ終わっていない。

データの電子化はOCRや電子出願で行うが,デジタル化されたデータをどのように管理して電子業務フローに乗せるかが,次の課題である。WIPOでは,OCR用にWIPOScanを,簡易電子データ受理ソフトとしてWIPOFileを,Webサイトに載せる電子公報編集ソフトとしてWIPOPublishを,電子業務フロー管理プラットフォームとしてIPAS(Intellectual Property Office Administration System)を開発して,世界70か国に提供し,利用されている。これらは選択して利用できるし,個別にカスタマイズもできるので,重宝がられている。大切なことは,すべてのソフトが無償提供され,WIPOがアップデート・保守サービスを提供していることと,これらを推進する政策的な枠組みとして,WIPOがリードし,いくつかの先進国の知財庁も参加している特定国プロジェクトや地域プロジェクトが側面支援していることである。それらは,日本がWIPOファンドで支援するナイジェリア,ARIPO(英語圏のアフリカ地域知財庁)やインドネシアの知財データデジタル化プロジェクト,WIPOと欧州特許庁が支援する特許情報のフロントページのデジタルデータを提供しているLatipatプロジェクト(ラテンアメリカ諸国向け)とArabpatプロジェクト(アラブ語圏諸国向け)などである。各国・地域がこのプラットフォームで作り出したデジタルデータは,WIPOのネットワークで,多くの国・地域に情報流通できるように,EDMS(電子文書管理システム)を通じて各国・地域知財庁やWIPO事務局に送信されて,データの交換を行うほか,グローバルには,パテントスコープ・グローバルブランドデータベース・デザインデータベースの3つのWIPOのグローバルデータベースにアップロードされ,世界に情報普及される。

これらのグローバル情報普及を容易にしているのは,IPASプラットフォームやソフトウェアが,WIPO技術スタンダードに準拠して作成されており,作成された各国・地域のデータのフォーマットや構造(XML)が自動的に国際標準化しているからである。XMLとなれば,ロボットが容易に検索できるし,国境を越えたシステム間の情報交換が自動的にできるため,大量のデータをプールして,オンデマンドでロボットによってダウンロードすることができるWIPOグローバル情報普及メカニズムの創設も視野に入れている(2016年秋稼働予定)。また,グローバルデータベースに収録されたデータは,WIPOが開発したフルテキスト・サーチ,図形商標イメージサーチ,多言語検索サーチ,知財専用の機械翻訳であるWIPO Translate,化学化合物検索ソフトであるWIPO ChemSearch(2016年秋搭載予定)などの無償検索機能で検索できるようにして,グローバルな情報普及に貢献している。プラットフォーム上でいろいろな機能を追加していくというのが,現在の戦略であり,これを1に示した。法律面での条約と並び,技術面での標準化を,国際協力の両輪としてとらえている戦略であるといえる。

途上国での特許情報や科学情報へのアクセスは,商用データベースへのアクセスを無償化(最貧国向け)または値引きした額にする(低所得途上国向け)グローバルパートナーシップを,WIPOは,他の国連機関や商用データベース企業と行っている。それらは,科学技術文献データベースへのアクセスを推進するARDIプロジェクト(2万5,000ジャーナルへのアクセスが可能)と,商用特許情報データベースへのアクセスを推進するASPIプロジェクト(6社が参加)である。わが国のデータベース企業はまだ参加していないので,日本の国際貢献への一助として,奮って参加してもらいたい。

さらに,人材養成の一環として,情報関係では,WIPOが設立を援助している技術・イノベーション支援センター(TISCs: Technology and Innovation Support Centers)が軌道に乗ってきた。現在50か国で350か所のセンターが設立されて,特許情報検索のアドバイスや補助,発明家への相談サービスなどを提供している。また,Patent Landscape(先行技術ランドスケープ分析)を誰でも行えるようにとの目的で,インターネットでオープンソースとして開放されているソフトウェアをどのように利用するかというマニュアルも,2016年秋に公表する予定である。

最後に,第4の柱である「グローバル知財インフラの構築」についてみてみる。

図1 知財データ流通のためのWIPOの戦略的プラットフォーム(概念図)

6. グローバルインフラの整備

技術援助や人材養成が各国・地域のビジネスニーズに直結していなければ,単発花火に終わり,持続可能とならない。現在の戦略で最も成功していると思われるのは,各国・地域へのピアレビュー(近隣諸国からの監視)のみならず,国際競争させることによって,自発的・自己責任で国際分業のスキームに参加させるよう奨励している点にある。TRIPS協定や自由貿易協定などを締結しても,究極は,各参加国が,自国のビジネスを興すための知財サービスを知財庁が本腰を入れて提供する仕組みを構築する必要がある。このために,上述した無償ソフト提供は,単なる呼び水であり,それぞれの知財庁がさらに進んで,近隣諸国や貿易相手国と知財情報のやり取りや国際分業という第2段階に進んで,グローバル市場に参加することを目指している。それを助けるのが,WIPOグローバル・プラットフォームである。

さて,前述したように,WIPOが提供している無償ソフトウェアやツールはいくつもあり,覚えにくいアルファベットのコードネームで呼ばれ,どこに行けばアクセスできるのか素人にはよくわからないとの苦情がある。すべて,WIPOのWebサイトにおいてアクセス可能で注1),それなりの工夫をしてゲートウェイなどを設けてきたが,それらも数が増えて,入り口がたくさんある高速のインターチェンジのようになってしまった。そこで,現在の戦略は,WIPOのいろいろなITシステムやユーザーが利用しているWeb上のツール(約40ある)を究極的に1桁くらいのプラットフォームにまとめてしまうプロジェクトを進めていて,Webサイトのデザインも年末までに一新する予定である。これにより,ユーザーの便宜やアクセスがもっと簡単になり,Web上のツールの顧客吸引力(よく磁石に例えられている)が増すことを期待している。特許情報でのプラットフォーム構築は,WIPO CASE(特許出願・審査情報共有ネットワーク)とパテントスコープとePCTの3つを連関させることによって行っている。2には,これらのシステムがプラットフォーム上でどのように関連しているかを示した。

図中,ドシエ情報提供・アクセス庁とドシエ情報アクセス庁と2種類の庁が区別されているが,これは,知財庁がCASEに参加するときに,2つの資格のうちから1つを選択して参加登録するという仕組みから来ているものである。ドシエ情報提供・アクセス庁とは,知財庁自身が審査した出願の結果などの情報をドシエ情報としてCASEに情報発信して,他の知財庁が検索閲覧できるようにする積極的な活動を行うとともに,他の知財庁から提供された情報にもアクセスするという,いわば双方向の情報交換資格を持っている知財庁をいう。これに対して,ドシエ情報アクセス庁は,まだ自身の審査能力が不十分なために,他の知財庁から提供されたドシエ情報にアクセスして,審査結果などを閲覧するだけの資格を持つ知財庁をいう。

これからの戦略的方向性としては,知財庁はますますグローバルに国際分業するプロジェクトが進むことが予想される。このため,いろいろな知財庁の特許審査官同士が情報交換するプラットフォームが便利である。いわば,プロフェッショナルなソーシャルネットワーク上で,クラウド・ソーシングで関連情報を収集し,チャットで相談するというスタイルになっていくわけである。WIPO CASEでは,このような機能を実現しようとして,5年前に,オーストラリア・英国・カナダの3か国のために,実験的なプラットフォームを提供した。それ以来,参加国は,五大特許庁(日本,米国,欧州,中国,韓国)を含む21知財庁に急増した。先進国のみならず,新興国や途上国も参加しているところが真のグローバル・プラットフォームたるゆえんである。現在,ASEAN諸国とASEAN各国・地域の特許審査において,域内協力のためのパイロット・プロジェクトをWIPO CASEのカスタマイズ版として開発しているが,これは,日本特許庁ともネットワークで結ばれるため,WIPO Japan Fund(特許庁の財政援助)で支援している。

図2 特許審査国際協力のためのWIPOの戦略的プラットフォーム(概念図)

7. CASEが示唆する新モデル

情報管理の点からみれば,WIPO CASEは,以下のようにいくつかの興味深い可能性を秘めている。

まず,交換される情報が公式な情報だけでなく,非公式な情報も含まれうるプラットフォームにデザインされている(したがって知財庁間でのやり取りは非公開で,行政決定などの最終結果のみ公開する)ので,アクセス制限のあるシステムであることである。

また,いちどきに複数の国・地域や参加者が情報をシェアするので,いわば,クラシックな2点を結ぶ横断歩道上の行き来から,スクランブル交差点の歩道上での行き来となって,1次元から2次元上を情報が流れていることである。

最後に,情報シェアのための取り決めや参加者の行動を律するガバナンスには,中立のWIPOが管理人として情報流通サービスとその質の確保を保障する必然性が生まれたことである。

実はこの最後の点が,今後,グローバルなサービスを提供するにあたりキーポイントとなると考えている。新条約におけるような法律義務で確立された堅固で融通の利かないガバナンスではなく,技術の進展に合わせて柔軟に対応し,採用できる状態になった国・地域から参加していくという,いわば,今世紀のソーシャル・ネットワークモデルにおけるガバナンスである。新しいことは,順次取り入れていくが,その都度,参加者の多数決による採択は求めない代わりに,気に入らない参加者はいつでもサービスを停止するというモデルである。新しいネットデモクラシーとでもいえる。

執筆者略歴

  • 高木 善幸(たかぎ よしゆき) yo.takagi@wipo.int

WIPO Assistant Director General(世界知的所有権機関事務局長補)。1979年特許庁に審査官として採用され,特許法改正審議室,ウルグアイラウンド交渉官,外務省ジュネーブ代表部勤務などを経て,1994年に,WIPOに工業所有権情報部長として採用され,国際分類・技術標準上級部長,戦略政策立案担当執行部長などを歴任して,2009年,事務局長補に任命され,現在に至る。

本文の注
注1)  WIPO:http://www.wipo.int/portal/en/,なお,WIPO日本事務所(東京)が編集している日本語のWebサイトもあるので,こちらも併せて参照されたい。http://www.wipo.int/about-wipo/ja/offices/japan/

参考文献
 
© 2016 Japan Science and Technology Agency
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