2002 年 37 巻 p. 469-474
本稿では、モロッコの旧都フェスを事例として、保護領末期のフランス植民都市計画の新旧市街の分離主義の転換と、その修正と定着の過程を明らかにする。1948年、フランス人都市計画家ミシェル・エコシャールは、「大衆のための都市計画」を掲げてこの転換を開始して、モロッコ人のための宅地、及び産業地区を設定した。これは都市計画の「急激な改革」であって、以後の都市計画はその修正と定着が課題となった。S.D.A.U. 1980では、土地利用計画の目的が新規宅地の計画から、既存市街地のコントロールへと発展した点が重要である。続くS.D.A.U. 1991は成長管理的政策によって市街化の抑制を試みながら、観光都市化政策や緑地の整備によって、分離主義に替わる都市像を目指している。