本稿では、以下のような史実を明らかにすることにより、戦前の名古屋の区画整理事業において、習俗的な方位観が存在したことを明らかにした。(1)都市計画法を根拠とする区画整理事業が行われる以前には、市街地の造成を目的とする耕地整理事業が行われた。名古屋市街から東北に位置する耕地整理事業では、人々の鬼門の忌避から宅地化が進まないために、宅地化の代替として工場誘致を積極的に進めた。(2)区画整理事業においては、それぞれの区画整理事業の特徴を宣伝する広告が行われた。その広告の内容には、習俗的に宅地の立地として優位であるとされる西北や東南の方位を喧伝するものがあった。