抄録
日本の都市は近代化の流れの中でそれまでとは大きく変容した。本稿の目的は、この“近代化”が何を意味したのかを、京都を事例として分析し、考察することにある。この目的のため、京都の時代ごとの都市形態の解析、京都都市計画道路新設拡築事業に見られた計画意図の分析を行い、それらを比較した。この比較により、京都の形態が近世から近代へと変容する際には西大路通りの整備事業の影響が強いことがわかった。しかし、この変容は当時の市当局の意図したものではなかったことが計画意図の分析から見出された。計画意図は、環状道路を新設することにより京都を放射状都市へと変容させることであったが、京都の近代化はそれまでの都市の中心部に並立する形で周辺部に形態上の中心を作ることにより実現され、この意図と効果には乖離があったと言える。本稿の結論として、京都における近代化は脱中心性と均質化の流れの中で起こったことが示される。