横浜市都市整備局
2006 年 41.3 巻 p. 893-898
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本論説では,景福宮および満州国執政府の改変・建設事例に着目し,伝統的な計画原理と日本の都市計画との間の関係を検討した。景福宮では,計画原理は意図的に破壊すべき対象という認識にすら達しないほど軽視されたと考えられ,執政府では,溥儀の意向に抗えなかった結果南面が表出したが,意識的な周礼の適用は考えがたいと結論した。計画原理の作為的破壊あるいは尊重という相矛盾した評価は,いずれも植民地都市計画の一面に対する過大評価とするのが筆者の見解である。
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