抄録
明治後半から東京湾において港湾管理者による埋立てが行われる中、非港湾管理者による埋立ても行われていた。非港湾管理者による埋立ては主に荏原郡域に集中しており、また荏原郡品川町は町として唯一埋立地造成を実現させている。しかし、これら非港湾管理者による埋立ての目的や実施の経緯の詳細はよくわかっていない。本研究では、東京湾において明治後半から昭和初期にかけて行われていた埋立地造成に注目し、まず、その主体と特徴を整理する。その上で、非港湾管理者として埋立てを実現させた品川町域に焦点をあて、埋立地造成計画から土地利用までの過程を追跡することを目的とする。品川町域における個人・連名における埋立ては、海に面して敷地を所有していた町民が、自らの敷地を海側に拡張している。品川町による埋立てでは、目黒川改修にからみ、その浚渫土砂の処分という名目のもとに実現した。その後、埋立地のうち目黒川沿い一帯の敷地は、それまで旧東海道に立地していた料亭、料理屋・旅館によって集中的に取得されて独特のまちを形成した。また、それ以外の土地には住工商の建物が混在して立地し、中には公園や銭湯も設けられた。