抄録
工業化とともに進展してきた我が国の工業都市のあり方は重要な課題であるにもかかわらず、産業と都市との関係性を創出する都市計画的手法は、必ずしも成熟していない。我が国有数の水島工業地帯は、戦前の軍需産業進出が工業化の契機ではあったが、工場のみならず生活空間が隣接して創出されており、非常に短期間で展開されたにも関わらず、総合的な都市空間の基盤が形成されている。これが今日の都市構造を規定しており、この基盤を生かして、戦後すぐに住宅地として人口を吸収するとともに、商店街も形成されるなど、急激に中心市街地が形成された。60年代以降には、工業地帯の形成によって市街地の都市化は加速する一方、周辺部にて企業社宅が増加するなど「郊外化」の様相も現れた。産業構造の転換に伴う従業員数削減や経済状況の変化に伴い、地区住民の減少、高齢化、空家の増大、商店街の空洞化、企業病院の閉鎖など、企業依存による課題を抱える一方、以前から計画的に整備された公園や道路等の基盤は受け継がれており、これらの資源や周辺環境の管理活用を含めて総合的に捉えた都市デザイン(都市管理計画)が必要とされている。