インドネシア・ジャワ島中部に位置するメラピ火山は、2010年10月に大規模噴火し、最大で火口から半径20km圏内の住民に避難勧告が出され、約40万人が避難することとなった。 インドネシアでは、災害時にPOSKOと呼ばれる仮設の災害対応拠点が必要に応じて多様な使い方がされており、今回のメラピ火山噴火の際には特に避難所としての役割を担ったと考えられる。しかし、火山災害では被災範囲が日々変化し、状況によってはPOSKOが乱立することとなる。 そこで本研究では、Jalin Merapiの活動に着目し、文献調査およびヒアリング調査から広域避難が行われる中で、自主的に大量に設置されたPOSKOが災害対応の拠点となるためにどのように運営が行われていたのか明らかにすることを目的とする。 2章では、POSKOの時系列の変化について整理し、3章では、Jalin Merapiが2006年から活動を継続し、2010年には、20人のスタッフと約2000人のボランティアが協力する仕組みを実現していたこと。支援と情報を結びつけるためにJM本部とPOSKOの間にPOSKO JMを設置していたことが分かった。