戦前期都市計画では多くの都市が路線的商業地域を採用している.しかし,用途地域制を定めた市街地建築物法に路線的商業地域に関する規定はない.さらに,都市計画決定時の理由書では,都市ごとの実情を反映しない,いくつかの定型的な表現を多く用いる傾向にあるため,路線的商業地域を採用した計画意図は未だ充分に解明されていない.そこで本研究は,日本において路線的商業地域が計画に現れるに至った最初期の経緯に着目,路線的商業地域の計画思想の源流を明らかにすることを目的とし,分析を行った.内田祥三と笠原敏郎の考えによると,路線的商業地域の計画思想は,住居地域の利便性や生活の質の向上に主眼を置いたものであった.他方,東京都市計画策定過程からは,街路の体裁を整えるという観点と,土地の経済的な利用を促進するという観点から,両側に商店がすき間なく建ち並んだ格式の高い街路を目指し,路線的商業地域指定を用いたという複数の思惑が明らかになった.しかし,路線的商業地域の計画思想として,都市の範囲や商業地域の面積など,都市全体をコントロールしようとする意図はみられなかった.