都市計画論文集
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戦前の林学者による都市計画への接近に関する考察
本多静六・田村剛・上原敬二に着目して
西川 亮
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2018 年 53 巻 3 号 p. 660-667

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抄録

本研究は戦前の林学者による都市計画への接近を、本多静六・田村剛・上原敬二に注目して明らかにするものである。本多静六はドイツ留学で出会った森林美学と日比谷公園設計という経験を元に全国各地の風景地における計画策定に関わっていった。本多の計画論は自然を利用することに重点を置いていたことが知られるが、1920年以降の計画では都市計画や土地利用に対する言及が見られるようになった。その経験を踏まえて出版された理論書でも風景地において土地利用に関する都市計画の必要性が論じられた。田村剛は芸術品として公園・庭園を扱う造園と林学に関心を持っていた。しかし、1910年代の社会変化を読み取り、森林の保健的利用の必要性に着目し、派生的に温泉地や避暑地といった観光地に関心を抱くようになった。その計画論では、建物が集積する空間における都市計画の必要性がしばしば言及され、更に景勝地と都市とを結合する都市計画の必要性へと展開していった。上原敬二は国立公園における議論では都市計画による風景地の保存を主張したが、一般的な風景地や観光地に関しては本多や田村と同様に風景地における都市空間を創るための都市計画の必要性を主張していた。林学は農学と共に公園や庭園設計に関わる造園分野の専門であり、農学出身者の多くが地方都市計画技師として都市計画の実務に関わっていたのに対して林学出身者は都市計画への直接的な関与はなかった。しかし、本研究から明らかなように、林学者もまた都市計画に関心を抱いていたが、そのフィールドは都市ではなく風景地にあった。また、3人の林学者によって言及された都市計画は、土地利用規制に関して都市計画法に基づいた地域制よりも具体的なものだった。つまり、林学者の主張は、風景地でも都市計画は重要であるという考えに基づくものであったと同時に、そこで求められる都市計画は、都市計画法が意図する都市計画とは異なる種類のものだということである。歴史からこれまでの都市計画を見直してこれからの都市計画を検討しようとする今、戦前の林学者が風景地を対象に都市計画像を持っていたという歴史は無視されるべきではないだろう。都市計画に直接的に関わりを持たない専門家による都市計画の見方は、都市計画の概念を変え得る可能性を秘めており、それが都市計画の発展を支えるものとなろう。

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© 2018 公益社団法人 日本都市計画学会
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