抄録
筑後川土地改良区は筑後川下流のクリーク灌漑地域に属してはいるが, その灌漑方式は, 比較的大型の電気揚水機を用いて, 筑後川の淡水を利用し, 高位部まで水を引き入れる自然流下方式を主としており, クリーク地域の中では特異な水利システムを有している. この灌漑方式の基本型が成立するのは, 大正初期から実施された耕地整理事業における電気灌漑事業による. 三潴北部耕地整理事業は, 電気灌漑の動力を矢部川上流に設置した自前の水力発電所に依ってきたところに特徴があり, しかも, 当土地改良区を構成してきた組合連合は, 統合再編等に伴う存廃の危機に幾度となく直面しながらも, 矢部川発電所を存続させてきた. この間の経緯を追求することにより, 自律的な施設や水利システムが果たす役割の重要性について検討を加えた. その結果, 組合連合が存廃の危機を一つ一つ乗り越えていく過程を通して, この水力発電所がその組合連合の統合の象徴の意味を徐々に帯びてくるようになったこと, 存廃の危機とその克服は大技術システムの事業主体と中技術システムのそれとの対抗関係あるいは相互調整の過程として捉えうること, さらには, 自家発電による経済メリットのみならず, 組合連合および現土地改良区にとって発電所は, 存廃問題に関わる長い交渉や対応の過程を経て, 次第に歴史性を帯びたかけがえのない施設になってきていること, 等が明らかとなった.