日本土木史研究発表会論文集
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インドにおける用水路灌漑技術の確立過程
ガンガー用水路建造を中心に (その一)
多田 博一
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キーワード: 海外土木, インド, 灌漑
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1988 年 8 巻 p. 175-183

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抄録
1757年のプラッシーの戦いに勝利を得, インドの植民地化に乗り出したイギリス東インド会社は, 1801-03年にガンガー河とヤムナー河の中・上流地方を獲得した。会社は財政基盤を確固たるものにするために, 先ず最初に地租査定のための地籍調査・慣行調査を実施した。その過程でインド農民が営々として行っている井戸からの揚水灌漑や小河川からの分水灌漑の実態に触れ, また14世紀に建造されたヤムナー河から分水する用水路の遺構を発見し, インド農業における人工灌漑の重要性を認識するようになった。干魃の体験がその重要性をさらに強く印象づけた。こうして,(1) 悲惨な飢饉から民衆を守るという人道的動機,(2) 消極的には, 干魃による地租の減収と救済事業への出費による政府支出の増加を防ぐこと, 積極的には, 灌漑により耕地を拡大し地租収入の増大を図ること, という経済的動機,(3) ムガル王朝に代わるインドの統治者としての威信と正当性の誇示, という政治的動機, が一体となって, 束インド会社は北インドにおける用水路灌漑の整備に着手することになった。しかし, 本国のイギリスにおいては, 陥termeado、ぜ (主として, 霜害から牧草を守るために小河川から分水して行う灌水) 以外に灌漑らしい灌漑は行われていなかった。用水路灌漑の工事に実際に携わることになったイギリス工兵将校たちには, 大規模な灌漑に関する経験も知識も欠けていた。そこで, かれらは先ず在来の灌漑用水路の修復・拡張で経験を積むことになった。こうして西ヤムナー用水路 (1817年着工, 1825年通水, 幹線延長347マイル), 東ヤムナー用水路 (1823年着工, 1830年通水, 幹線延長129マイル) が取り上げられた。干害防止, 農業生産の安定・増大の面におけるそれらの効果は目覚ましいものであった。そこで, 東インド会社は植民地統治者の威信をかけて, 北インド最大の河川であるガンガー河から分水する用水路 (1842年着工, 1854年通水, 幹線延長440マイル) 工事に着手することになった。当時, 世界最大の灌漑用水路工事であったために, 幾多の失敗を余儀なくされた。
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