日本土木史研究発表会論文集
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雁堤による富士川の治水と社会への影響
雁堤と富士市
高橋 彌
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キーワード: 治水, 特殊堤, 開発効果
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1989 年 9 巻 p. 115-121

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抄録

富士川は日本3大急流に数えられる暴れ川である。しかも上流水源地はフォッサマグナに添い、花崗岩の風化帯・火山噴出物等非常にもろいため石礫の流下が極めて多い。そのため上・下流ともしばしば激しい災害を受けてきた。
富士川下流の流路は、かつて現河道より東寄り田子ノ浦港方向に向かい、多くの派川を持って駿河湾に流入し、洪水と流送土砂によって沿川には広大な扇状地が形成されていた。
雁堤は1621 (元和7) 年より1674 (延宝2) 年まで古郡氏3代の手によって、その扇頂部に築造された逆L型の平面形状をした特殊河川堤防で、東流する富士川の流れを締め切り現流路に固定したものである。これによって生じた富士川左岸の加島地域には5,000石と言われる開田開発が行なわれ、斬しい多くの村々が誕生した。また、洪水のたびに変わっていた流れが雁堤によって固定され、それまで安定性を欠いていた「東海道富士川の渡し」も、幹線交通の拠点として幕府体制を支える役割が期待されるようになった。
更に、1612 (慶長12) 年、角倉了以によって開削され内陸との間に始まっていた舟運による交易も、船溜りや流路の安定とともに盛んになり、幕府の財政を支えると同時に地域の経済に大きな発展をもたらすようになった。
しかし、左岸の堤防が強化されると富士川の急流は、従来と変わって下流に災害を与えるようになり、以来、下流及び右岸の蒲原側がしばしば洪水被害を受けるようになった。
完成以来300年余を経て雁堤は現在もその効用を発揮しており、加島一帯は工業都市富士市へと発展している。雁堤は、従来、特異な形状と治水面の効果のみが評価されていたが、このように地域発展と社会経済に果たした役割と、歴史的意義は大きい事が認められた。

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