土木史研究
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横浜南部の土木遺構-昇龍橋について-
増渕 文男
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キーワード: 大正以前, 横浜, 石橋
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1991 年 11 巻 p. 119-122

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抄録

日本の歴史に「横浜」が登場するのは江戸時代の幕末期で、港を中心とした横浜北部地域が中心であり、これが今日の横浜のイメージとして広く定着している。しかし南部地域にはこれより古い遺構がみられるようで、本研究は横浜南部の土本遺構を調べ、石橋の一橋「昇龍橋」について報告するものである。
昇龍橋の架設位置は横浜市南部にある栄区の狙川上流部で、この河川には土木遺構として石橋の他に溜池、堰、及びずい道などがある。しかし、これらの遺構は付近の住民一部が知るだけで、一般的にはあまり知られていない。石橋の構造形式といえば九州の石橋があげられるが、昇龍橋はそれと類似性が少なく、何処の石工が建造したものか不明である。石材は当地の鎌倉産「今泉石」を使用しており、軽快な感じと独特な趣をもつ石橋である。架設年代は親柱に大正四年の刻印があり、かすかに読み取れるが、親柱と石橋本体とは石材が異なるので、まだ明確にはなっていない。石橋の建造には高度な技術が必要であるが、何故この地にその技術が展開されたかなど追究すべき点が多い。
この周辺には江戸時代を中心に土木遺構が多く存在し、高度の技術力と文化、それを支える経済力を温存してきたが、近年になり衰退し開発事業の影響が心配される地域である。

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