土木史研究
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アムステルダムの都市計画の歴史-1917年のベルラーへの南郊計画とアムステルダム派の意義
越沢 明
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1991 年 11 巻 p. 155-166

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抄録

欧米の近代都市計画の歴史については、一都市の全容を解明した実証的な研究は意外なことに少ない。本稿はオランダの首都アムテルダルダムの歴史を取り上げている。
13世紀に成立したアムテルダルダムはオランダが独立した17世紀初めに急激に発展した。計画的に運河の開削と建築敷地の造成が行われ、近代都市計画の先駆け(建築規則の適用、超過収用の実施)が見られる。その後、19世紀後半、産業の近代化とともに市街地の拡張が実施されたが、住宅の水準は低く、労働者住宅と都市インブラの改良が都市行政の大きな課題となった。
市当局の依頼によりオランダを代表する建築家ベルラーへが設計した市街拡張計画のうち南郊地区が1915年より実施された。用地は市が買収し、住宅協会が集合住宅を建設した。南郊地区には広幅員街路、広場、公園、住宅、公共施設が巧みに配置され、特に集合住宅地の多彩でリズミカルな設計はすぐれた都市景観をっくり出している。造形美を実現した都市計画としてPlan“Zuid”の意義を今日、再評価してよいと思われる。

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