抄録
岐阜県大野郡の尾上郷燐に架かる尾神橋 (工事中の名称は尾上郷大橋) は、庄川水系の御母衣ダム貯水池の建設により水没する旧県道の代替道路において、1959 (昭和34) 年に架設された橋である。橋長316.7m、3径閥連続トラスと単純合成鋼板桁より成るが、深い渓谷を渡るためその橋脚躯体高さが、48m、及び34mの高橋脚であり、鉄骨鉄筋コンクリート構造のフレキシブル橋脚を採用しており、従来とは異なる構造形式及び設計方法を採用している。
この橋梁の深い渓谷を渡る際の高橋脚を含む構造形式及び設計方法は、日本道路公団に伝えられて高速道路調査会の「構造橋梁研究小委員会」の検討を経て、同公団の設計要領の「フレキシブル橋脚の照査」の考え方の基礎を成している。
この高橋脚構造の考え方の発想のヒントは、1932 (昭和7) 年から3年間にわたり旧内務雀土木局により行われた「関門国道連絡方法に関する調査設計」での関門国道吊橋案の主塔の設計の考え方にある。
1956 (昭和31) 年の指名競争設計で、この考え方が当時の汽車製造KKより提案されて、尾神橋に採用されたことに由来するものであり、同社の設計課長井上映の発案である事が明らかとなった。
この新しい高橋脚構造の考え方の報告文は準備されていたが、尾神橋の架設中の大事故のため発表が見合わされ、設計の考え方のみが日本道路公団に引き継がれた。この報文は、これ等の事情について調査した結果を纏めたものである。