1998 年 18 巻 p. 381-386
明治期に架けられた鋼 (鉄) 道路橋の国内の製作工場を調べたものである。明治初期の国産道路橋は宮営工場で一橋毎に加工製作されている。これが明治中期になると「よろずや的」と称される機械工場で製作され, 加工製作の国産化が完成した明治後期になると専門化した機械工場の他に, 造船または鉄骨製作と兼業した橋梁專門工場での製作が始まっていることがわかった。又, 鋼 (鉄) 橋の加工製作についても, 機城・造船と同様に官設工場の影響は大きく, そして赤羽工作分局と三田農具製作所を核とした東京港区三田・田町地区は明治中期頃は鉄橋製作についてもその中心地ともいえる状況であったことがわかった。