2001 年 18 巻 p. 17-24
本論文は、わが国最初の高架鉄道として1904 (明治37) 年に開業した総武鉄道 (現・JR総武線) 両国-錦糸町間を対象とし、その計画から実現に至る経緯を鉄道会議議事録や市区改正委員会議事録、許認可関係文書など、主として当時の公文書に基づいて明らかにした。その結果、総武鉄道には資金難のために地平線へ変更する代替案があり、地域住民は交通渋滞の原因になるとしてこれに反対していたことなどが明らかになった。また、この事業に対して鉄道会議や東京市区改正委員会がどのように関与していたかが把握され、高架鉄道の実現が一鉄道企業の論理ではなく、地方行政や地域住民の合意を経ながら計画的に実施されていた経緯を示すことができた。