本稿では、1980年に施行された「滋賀県琵琶湖の富栄養化防止に関する条例」とたいへん深く関わった、「石けん運動」を事例に、環境政策への住民参加の問題を検討した。この石けん運動では、合成洗剤による健康障害や琵琶湖の富栄養化が問題にされた。そこで、条例制定前後の時期に注目し、個々の運動団体と滋賀県行政が、合成洗剤の問題をめぐってくりひろげた相互作用過程のダイナミズムを、各々の主体が行う状況の定義のズレ、そしてそれらの共有・妥協・対立、またストラテジーにも注目しながら分析した。そして、そのような相互作用過程において形成された論理とともに、石けん運動が結果として抱えてしまった問題を指摘し、今後の方向性を提示した。