環境社会学研究
Online ISSN : 2434-0618
特集 環境社会学にとって「被害」とは何か
なぜ被災者が津波常習地へと帰るのか――気仙沼市唐桑町の海難史のなかの津波――
植田 今日子
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2012 年 18 巻 p. 60-81

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抄録

本稿の目的は,2011年3月11日の津波で甚大な被害をうけた三陸地方沿岸の集落の人びとが,なぜ海がすぐそばに迫る災禍のあった地へふたたび帰ろうとするのかを明らかにすることである。事例としてたどるのは,津波常習地である三陸地方,宮城県気仙沼市唐桑町に位置する被災集落である。この集落では52世帯中44世帯の家屋が津波で流失したが,津波被災からわずか1ヵ月あまりで防災集団移転のための組織をつくり,2011(平成23)年度末には県内でももっとも早く集団移転の予算をとりつけるにいたった。舞根の人びとが集団移転をするうえで条件としたのは,移転先が家屋流失を免れた8世帯の人びとの待つ舞根の土地であること,そして海が見える場所であることであった。本稿は津波被災直後から一貫して海岸へ帰ろうとする一集落の海との関わりから,彼らが災禍をもたらした海に近づこうとする合理性を明らかにするものである。

海で食べてきた一集落の人びとの実践から明らかになったのは,慣れ親しんだ多様な性格をもつ海は,どうすればそれぞれの場所で食わせてくれるのかをよく知り,長い海難史のなかで培われた“死と向き合う技法”と“海で食っていく技法”の双方が効力を発揮する海であった。すなわち,舞根の人びとにとって被災後なお海のもとへ帰ろうとすることが“合理的”であるのは,海がもたらしてきた大小の災禍を受容することなしに,海がもたらしてくれる豊穣にあずかることはできないという態度に裏打ちされている。

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