6世紀と14~17世紀,ペストは,東ローマ帝国とヨーロッパにおいて,おびただしい人の命を奪った。そして1894年,正体が不明なこの病気はその流行地を香港に移した。このとき,北里柴三郎とアレクサンドル・エルサンは,患者から一種の細菌を見つけた。ペスト菌が発見されペストの正体は遂に人々の目に晒されたのである。ペスト菌は発見者の栄誉を記念してYersinia pestis(エルサンのペスト菌)と命名された。しかし,そこに北里柴三郎の名前はない。何故だろうか。この理由を解明するヒントは,北里大学白金図書館が所蔵するジェームズ・ラウソンによる報告書『1894年・腺ペストの流行』の中にあった。ペスト菌論争で誤りに気づき謝罪した北里柴三郎の姿勢を「学者の一分」として紹介する。