人口学研究
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論文
迷子と行方不明 : 18世紀京都の人口現象
鬼頭 宏
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1986 年 9 巻 p. 49-57

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抄録

近世日本の農村人口については宗門改帳の利用によってこれまでに多くのことが解明されてきたが,長期にわたって残存する宗門改帳が少いために,都市の歴史入口学的研究はおくれるいるのが実状である。そこで宗門改帳とは別種の史料の利用を開拓することが必要とされる。本稿では,町奉行所から布達された町触の記事を通じて迷子と行方不明に焦点をあて,近世都市における人口現象に接近することを試みた。調査結果はつぎのとおりである。迷子の年齢は2・3歳から8歳まで分布するが,半数が3・4歳に集中する。また迷子の発生件数は米価高騰期に多く,低落期に少い。このことから迷子にはひとり歩きできる年齢の捨子が多く含まれると推定できる。貧しい身成りの子供が多数あることも,この推測を裏付ける。行方不明者の数は15歳以下の年少者が最も多くほぼ3分の1を占める。61歳以上が5分の1を占めてこれに次ぐ。年齢構造を考慮すれば行方不明の発生率は61歳以上高齢者は平均の3倍以上で最も高く,15歳以下と46〜60歳がこれに次ぐ。年少者には奉公人が多数含まれ,ほぼ半数を占める。行方不明者全体の中で傍系親族の割合は低く,1割に満たない。これらの特徴は,都市化が進み,小規模の血縁家族と比較的多数の若年労働力をおく京都の世帯構造をよく反映している。行方不明者には肉体的,精神的に何らかの異常をもつ者が少くない。25歳以下では「生得愚」とされる者,26〜60歳では精神に障害があるとおもわれる者,そして56歳以上では「老耄」と記載された俳徊老人が目につく。迷子と行方不明に対する関心が18世紀になってから高まり,触留に記録されるようになったことは,前世紀からこの時代にかけて人口の成長から停滞への転換が生じたことと関係があると考えられる。人口の停滞はおもに出生力の低下,すなわち子供数の制限によって達成されたとみなされている。捨子は堕胎・間引と並び,確実な方法として採用されたのであろう。また同時に,出生率の低下は人口高齢化をもたらし,老人を取り巻く問題が目立つようになったのである。

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© 1986 日本人口学会
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