抄録
水は生体の主成分であるため、放射線が生物に与える影響を検討する上でその放射線分解収量は基礎となる。しかし、近年ガン治療に用いられている重粒子線のような GeV 級高エネルギー重粒子線に対して、このような知見は十分でない。さらに、生体に近い実用上重要な中性の条件での報告となるとほとんどない。
そこで本研究では放医研 HIMAC からのガン治療用 GeV 級重粒子線を用い、水の放射線分解収量を主要な三つの生成物 (e-aq、•OH、H2O2) について測定した。重粒子線には核子あたりのエネルギーが数 100 MeV/u の 4He2+ から 56Fe26+ までの 6 種を用いた。HIMAC では GeV 級重粒子線のパルス照射が困難なため定常照射を行った。この際、反応性が高く短時間で消滅してしまう水分解生成物の収量および時間挙動を評価するために捕捉剤を用いた。さらに、PMMA 製エネルギー吸収材を用いることで重粒子線エネルギーを下げ、LET を増加させ、よりブラッグピークに近い重粒子線の条件も照射に用いた。照射セルには通常 1 cm 幅のものを用いたが、エネルギーを下げた場合には LET 変化がなるべく小さくなるように 2 mm 幅のセルを照射に用いた。これにより、試料内での LET 変化は小さく一定と見なせ、2-700 keV/μm と幅広い範囲で LET を変化させ微分 g 値を測定した。
以上の測定から LET 増加に伴うラジカル収量の減少と分子収量の増加が見られ、LET 増加に伴うトラック構造の高密度化ならびにこれに付随したトラック内反応の増加が確認できた。さらに、同程度の LET で異なるイオン種の照射を比べると、軽いイオンの方が低いラジカル収量、高い分子収量になった。このことから軽いイオンの方が飛跡の近傍のより狭い領域により密なトラックを形成し、トラック内反応が起こり易くなっていることが示唆された。
さらに、これらの測定結果を拡散モデルシミュレーションで再現することに挑戦したり、モンテカルロシミュレーションを用いた報告値と比較したりしており、時間的にも空間的にも微視的な観点からトラック構造を検討することで重粒子線照射の特徴解明を試みている。