抄録
有人宇宙飛行のリスクや放射線治療の副作用を考える際には、学習・記憶、運動といった生命維持に必要な生体機能に対する放射線被ばくの影響を知ることが重要である。われわれは、運動を指標とした行動(個体)レベルの実験系が確立されており、運動制御を担う神経が既知であるモデル生物線虫(C. elegans)を対象として、放射線の運動への影響を調べてきた。そして、線虫の全身にガンマ線を照射すると、(1)全身運動(体壁筋を駆使した移動のためのくねり運動)が線量依存的に低下すること、(2)この運動低下は数時間後には回復することなどをこれまでに明らかにした。
本研究では、全身運動とは異なる筋を使う運動に対する放射線影響を明らかにすることを目的として、咽頭筋のポンピング運動(咀しゃく・嚥下)に着目した。まず、よく餌付けされた50匹程度の線虫を大腸菌E. coli(エサ)を培養した寒天平板上に置き、60Coガンマ線(300、500、1000 Gy)を照射した。放射線の運動への影響とその時間変化を調べるために、照射直後から8時間後まで2時間おきに5個体以上の線虫の咽頭筋の運動を撮影した。この画像をもとに、各個体の3秒間のポンピング回数をカウントし、その平均を非照射群平均で正規化した。ガンマ線照射直後、線虫の咽頭のポンピング運動は、全身運動と同様、線量依存的に低下した。照射群の分布は、運動を停止する群と通常の運動を継続する群の二極分布となった。これは、全個体の運動が一様に低下する全身運動の結果とは質的に異なるものであった。また、ポンピング運動は、照射後2時間で照射前と同程度まで回復し、その回復率は全身運動よりも高かった。このことから、放射線による運動低下のメカニズムは、運動の種類によって異なるものである可能性が示唆された。