2025 年 27 巻 1 号 p. 7-18
作物の品種育成で必要不可欠となっている表現型計測には多大な時間と労力が割かれていることから,その効率化が求められている.ハイパースペクトル(HS)カメラを利用したイメージング技術は,植物の内部状態を非破壊で解析できるだけでなく,目的とする情報の分布を可視化できる点が大きな魅力である.本手法の強みを活かし,植物における化学的ならびに生理的特性の解析を高速かつ簡便にすることを本研究の目的とし,その一例としてイネ幼苗の光合成産物含量の非破壊評価系の確立を試みた.日本型イネ品種「コシヒカリ」およびインド型イネ品種「IR64」の幼苗を様々な光条件で栽培し,HSカメラで撮影した画像から植物部分のHS反射率データを抽出した.撮影後のイネ幼苗は部位別に採集し,光合成産物(ショ糖およびデンプン)の含量をLC-MSの分析値から算出した.全体で葉身198点および葉鞘198点のデータを分割し,学習データと検証データとした.HS反射率データを説明変数,ショ糖含量およびデンプン含量を目的変数として,部分的最小二乗回帰(Partial Least Squares Regression: PLS)によって部位別に予測モデルを作成し,決定係数(R2)などを算出した.同一個体を経時的に撮影したHS反射率データに,作成したショ糖含量の予測モデル(葉身:R2 = 0.58,葉鞘:R2 = 0.73)とデンプン含量の予測モデル(葉身:R2 = 0.89,葉鞘:R2 = 0.68)を適用し,画素単位のショ糖含量およびデンプン含量の分布を推定したところ,連続的な光条件下で各含量が徐々に増加する様子を可視化できた.また,各含量の実測値では,先んじて葉身で増加し,遅れて葉鞘での増加が認められ,可視化画像においても同様の傾向が確認された.以上の結果から,HSイメージングを用いることで,イネの幼苗における個体レベルの光合成産物含量の差異や変化を非破壊で可視化できることが示された.
Phenotyping is essential for crop breeding but is often time-consuming and labor-intensive, necessitating the improvement and efficiency. Hyperspectral (HS) imaging is a promising technology because it allows non-destructively analyze the internal state of plants and visualize the distribution of specific information. This study aimed to leverage this method to enable rapid and simple analysis of the chemical and physiological characteristics of plants. Specifically, we developed a non-destructive evaluation system for photosynthetic product contents in rice seedlings. Seedlings of the Japanese rice cultivar ‘Koshihikari’ and the Indian rice cultivar ‘IR64’ were grown under various light conditions, and HS reflectance data were extracted from images by an HS camera. After imaging, the rice seedlings were collected by parts, and the content of photosynthetic products (sucrose and starch) was determined by LC-MS analysis. Data from 198 leaf blades and 198 leaf sheaths were divided into training and validation datasets. Using HS reflectance data as explanatory variables and sucrose and starch content as response variables, we created a prediction model by partial least squares regression for each plant part and calculated the coefficients of determination (R2). Applying these prediction models for sucrose content (leaf blades: R2 = 0.58, leaf sheaths: R2 = 0.73) and starch content (leaf blades: R2 = 0.89, leaf sheaths: R2 = 0.68) to time-series HS reflectance data of the same plant allowed us to estimate the distribution of sucrose and starch content at the pixel level, visualizing their gradual increase under continuous light conditions. The measured values indicated an earlier increase in leaf blades followed by a delayed increase in leaf sheaths, this trend was also confirmed in the visualization images. These results suggest that HS imaging enables non-destructive visualization of differences and changes in photosynthetic product content at each part level in rice seedlings.
作物の育種や農業化学品の開発研究において,表現型計測(フェノタイピング)は重要であり,その効率化が常に求められている.新品種の育成の場では,多様かつ多数の品種・系統・個体を対象に,複数の形質を調査して特性評価を行う.新規な農業化学品の開発においては,数多の供試化合物による効果の評価と選抜を重ねていく.いずれの研究現場においても,対象作物の表現型の計測に多大な時間と労力が割かれている.
形質の評価は,草丈の測定のような外観の調査に限らない.植物の形態学的・生理学的・生化学的特性に関する様々な計測が想定される.例えば,植物体中の水分含量や栄養素含量,あるいは光合成産物含量のような化学的な特性を評価する場合,採集・サンプリングを行って成分分析という破壊的な手法が必須となる.こうした手法の課題は計測にかかるコスト(時間や労力)の問題だけではない.育種研究の場面であれば,成分分析のために植物サンプルを刈り取る必要があるため,貴重な研究材料を消費することになる.ゆえに,研究材料の消費量を考慮して品種や系統あたりの栽培面積を確保する必要があり,結果として栽培にかかるコストが上昇する.また,破壊的な計測手法に頼る場合,同一個体内の経時的な変化を追跡することは通常は不可能である.このように,植物フェノタイピングの中でも化学的ならびに生理的な特性の評価においては,研究コストの削減のみならず,研究の計画や開発戦略の幅を拡げる点でも非破壊計測は非常に有効で可能性を秘めた技術である.
近年,画像解析技術を駆使することで,植物の多様な特性を高速かつ高性能に把握でき,植物フェノタイピングのハイスループット化と同時に簡便化も期待されている(Zhang and Zhang 2018).中でも,数十から数百バンドの波長分解能を持つハイパースペクトル(HS)カメラを利用して物質や現象を視覚的に表現するイメージング技術は,植物の内部状態を非破壊的に捉えられる利点で注目を集めており,HSイメージングを農業目的で使用する研究が年々増加している(Lu et al. 2020).HSイメージングは精密農業と相性が良く,人工衛星や航空から取得したHSデータに基づいて圃場を対象とする土壌情報や作物生育情報を評価する研究事例がこれまで多数報告されてきた(Ram et al. 2024).一方,個体を対象とした研究場面では,植物との距離が1–2 m程度の近距離で撮影するHSイメージングが迅速な非破壊評価の有望なツールとして注目されている(Mishra et al. 2017, 2020).なお,HSイメージングには通常,放射輝度,反射率,吸収率が含まれるが,植物フェノタイピングへの活用例としては反射率を利用した報告が多い.
HSイメージングを植物の化学的特性の評価に利用する場合,対象の植物のHS画像から抽出した各波長のスペクトルデータと,撮影対象に含まれる成分量の分析値にケモメトリックス(相島 1991)を適用して,スペクトルデータから成分含量を推定するモデルを作成し,これを形質評価に活用する.以前から,このような評価には近赤外分光法が用いられ,分光光度計を用いた農産物の糖度推定や品質検査などで多くの先行研究がある(河野 2013).さらに,HSカメラを使用すると2次元のスペクトルデータを測定できるため,例えば,関・柏嵜(2021)のニホンナシの糖度分布を推定した事例のように,注目した化学的特性の情報を画素単位で推定し,その分布を可視化できる点が従来法にはない大きな魅力である.
近距離からのHSイメージングを植物フェノタイピングに適用し,個体または個葉の化学的特性を評価した先行研究では,トウモロコシに関する報告が多く,水分含量(Ge et al. 2016, Pandey et al. 2017, Gao et al. 2019, Lin et al. 2022, Maki et al. 2023),窒素含量(Lin et al. 2022, Maki et al. 2023),多量および微量栄養素含量(Pandey et al. 2017)の評価などに適用されている.その他の作物では,ダイズの水分含量と窒素含量(Pandey et al. 2017),コムギの水分含量と窒素含量(Bruning et al. 2019),ソルガムの水分含量と窒素含量(Lin et al. 2022),トマトの窒素,リンおよびカリウム含量(Sun et al. 2019)などの先行研究があるが,全体として水分含量および窒素含量に着目した報告が目立つ.その中で,可視化の研究例は少なく,コムギの水分含量と窒素含量の分布(Bruning et al. 2019)に限られる.
一方,作物育種の観点で注目すべき形質は収量やその関連する形質である.作物の収量は光合成に依存するため,光合成の評価は重要である.わが国の主要な作物であるイネに注目すると,光合成によって固定された炭素はショ糖(スクロース)としてシンク器官へと転流し,植物体の成長や子実の生産に利用される.一般に,多くの植物の葉では,光合成産物の一部をデンプンとして一時的に貯蔵し,これを夜間に糖に分解して成長に利用する(Stitt and Zeeman 2012).栄養成長期のイネでは,余剰の光合成産物は主にデンプンの形で茎葉部(葉鞘や茎)に蓄積される(村山ら 1955).こうした光合成産物の含量を調べる場合にも,通常は植物サンプルからショ糖やデンプンを抽出して定量するが,近年はHSデータを用いて解析した研究例も報告されている.しかしながら,携帯型の分光計でイネ葉面の数ヶ所を計測したHSデータを適用して葉内のショ糖含量を評価した事例(Das et al. 2018)や,収穫後のイネ籾をHSカメラで撮影してデンプン含量の品種間差を可視化した事例(Zhang et al. 2019)にとどまり,栽培中のイネ個体全体のショ糖およびデンプン含量を非破壊で評価し,その分布を可視化した事例はない.
そこで本研究では,育種や農業化学品開発の実場面を想定し,植物個体の化学的ならびに生理的な特性を,非破壊で経時的に簡便に評価する事例として,HSカメラを活用したイネの光合成産物含量の非破壊評価方法を確立する.具体的には,イネ幼苗のショ糖含量およびデンプン含量を近距離HSイメージングの撮影画像を用いて推定し,各含量の分布の可視化を検討する.
2–3葉期のイネ(Oryza sativa L.)の幼苗を実験対象とした.日本型品種「コシヒカリ」およびインド型品種「IR64」を供試し,特性の異なる両タイプのイネを評価できる系の構築を目指した.供試植物の生育を揃えるため,1セルずつ切り離したセルトレイに培土(ボンソル2号)を充填し,そこへハト胸期の種籾を1粒ずつ播種した.播種後は30°Cで48時間加温出芽させた後,人工気象器にて栽培した(温度:25°C,明暗条件:12時間明/12時間暗).植物体内の光合成産物を減少させるための暗処理は,育苗トレイ全体をアルミホイルで覆って完全に遮光し,48時間経過させた.暗処理後に明条件下での経時変化を調査する場合には,遮光用のアルミホイルを取り外した個体を連続した明条件下に移して撮影時まで栽培した.供試した植物の栽培は複数回に分けて行った.品種および光条件別のサンプル数を表1に示した.
実験に供試したイネ幼苗の部位・品種・光条件別のサンプル数
部位 | 品種 | 光条件 | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
明所 | 暗処理1) | 暗処理から連続した明条件に移行後の経過時間(時間) | |||||||
0 | 3 | 6 | 12 | 24 | |||||
葉身 | コシヒカリ | 42 | 18 | 6 | 6 | 6 | 6 | 12 | 96 |
IR64 | 24 | 12 | 12 | 12 | 12 | 12 | 18 | 102 | |
葉鞘 | コシヒカリ | 42 | 18 | 6 | 6 | 6 | 6 | 12 | 96 |
IR64 | 24 | 12 | 12 | 12 | 12 | 12 | 18 | 102 |
1) 完全に遮光して48時間経過後.
暗室内に撮影台を組み,イネ幼苗全体を視野に収めるため,撮影台から高さ62.5 cmの位置にHSカメラ(NH-7,エバ・ジャパン)を取り付けた.撮影対象の影ができないように,両側から500 Wのハロゲンランプで照らした状態でイネ幼苗全体を撮影した(図1).本研究で用いたHSカメラでは,1回の撮影により,350–1100 nmの波長帯のスペクトル画像を5 nm間隔で151枚取得することができる.取得したイネ幼苗のHS画像は,付属の解析ソフトHSAnalyzer(エバ・ジャパン)の白板補正機能により,別途撮影した白色板のHS画像を用いて反射率画像に変換した.HSAnalyzer上で作成した反射率画像において,イネ幼苗の葉身,葉鞘,地上部全体の3パターンで範囲を選択し(図2上段),それぞれの反射率データをCSV形式で保存した.CSVファイルには画像内の各画素の位置座標(X, Y)ごとに151波長の反射率データが格納されている.さらに,代表的な植生指標である正規化植生指数(Normalized Difference Vegetation Index: NDVI)を用いて植物とそれ以外の背景を分ける閾値を設定し,植物領域のセグメンテーションを行った.抽出された植物部分を白色,それ以外の背景を黒色としてバイナリ画像を作成し(図2下段),適切に植物領域が抽出されたことを確認した.セグメンテーションとバイナリ画像の作成にはR(version 4.3.3)を用いた.
HSカメラによる可視域から近赤外域の撮影データにおいては,400 nm付近および1000 nm付近の波長帯はノイズが多く,しばしば解析から除外されることが報告されている(Ma et al. 2020).そのため本研究では,450~950 nmの101波長に限定して以降の解析に用いた.植物領域の1画素ごとに,X座標,Y座標,101波長の各反射率データを取得し,可視化画像の作成用に保存した.続いて,植物領域全体の反射率データを波長ごとに平均化し,各個体・各部位の代表値とした.横軸を波長,縦軸を反射率として,反射率データの分布を付図1に示した.この反射率データの代表値を予測モデルの説明変数とした.
3. 光合成産物含量の分析 1) 植物サンプルの破砕撮影後の植物体の地上部を葉身と葉鞘(茎を含む)とに切り分け,紙袋に回収した.乾燥機で50°C,1週間乾燥させた後,デシケータで使用時まで保管した.ビーズ式破砕装置(シェイクマスターオート,バイオメディカルサイエンス)を使用して,乾燥したサンプルが完全に粉末になるまで破砕した.
2) ショ糖定量2 mlチューブに10 mgの破砕サンプルを秤量し,99.5%エタノールを500 μl加えて95°Cで3分間温置した.遠心分離(5000 g,10分間)の後,上清430 μlを新しい1.5 mlチューブに回収した.沈殿に対して80%エタノールを300 μl加えて95°Cで3分間温置した.再度遠心分離(5000 g,10分間)を行い,上清300 μlを回収して,先に回収済みの上清と合わせた.80%エタノール添加以降の工程をもう1度繰り返し,上清画分とした.熱抽出で得られた上清画分1 μlと内部標準物質(100 μg/l 13C12スクロース,シグマアルドリッチ)を添加したアセトニトリル1 mlを混合した.次に固相抽出カラム(Strata-X, 30 mg, Phenomenex)を用いてアセトニトリルを混合したサンプルを精製し,スルーアウト画分をLC-MSによって分析した.分析条件は付表1に示した.内部標準物質(100 μg/l 13C12スクロース)を添加したアセトニトリルで調製した標準品ショ糖溶液(1, 5, 10, 50, 100, 500, 1000 μg/l)も併せて分析し,検量線を作成した.測定後,検量線をもとにショ糖量を算出し,供試サンプル量で除した値をショ糖含量とした.
3) デンプン定量熱抽出で得られた沈殿(残渣)中のデンプンは以降に示す手順でアミラーゼ処理によってグルコースに分解し,デンプン由来のグルコース含量として求めた.上清を回収後の沈殿を37°Cで10分間温置してエタノールを揮散させた.100 μlの蒸留水を加えて良く懸濁し,95°Cで10分間温置してデンプンをゲル化させた.ゲル化後のサンプルに酵素反応液(200 mM 酢酸ナトリウム,0.05 U/μl α-アミノグルコシターゼ,0.04 U/μl α-アミラーゼ)を100 μl添加し,混合した.37°Cで7時間以上温置することでデンプンをα-グルコースに完全に分解した.酵素反応後のサンプル1 μlと内部標準物質(100 μg/l D-グルコース(1,2-13C2),シグマアルドリッチ)を添加したアセトニトリル溶液1 mlを混合した.固相抽出カラム(Strata-X, 30 mg, Phenomenex)を用いてアセトニトリルを混合したサンプルを精製し,スルーアウト画分をLC-MSによって分析した.分析条件は付表1のとおりとした.内部標準物質(100 μg/l D-グルコース(1,2-13C2))を添加したアセトニトリルで調製した標準品グルコース溶液(1, 5, 10, 50, 100, 500, 1000 μg/l)も併せて分析し,検量線を作成した.測定後,検量線をもとにグルコース量を算出し,供試サンプル量で除した値をデンプン由来のグルコース含量とした.
4. ショ糖含量およびデンプン由来のグルコース含量の予測モデル作成各個体の部位別の反射率データ(101波長)と,それに対応するショ糖含量およびデンプン由来のグルコース含量の実測値から構成されるデータセットを作成した.反射率データの前処理として,MSC(Multiplicative Scatter Correction)処理および正規化処理(Zスコア正規化)を行った.モデル構築全体では葉身198点,葉鞘198点の合計396点のデータを使用した.データセット全体をランダムに4:1に分割し,モデル作成用の学習データとモデル評価用の検証データとした.葉身のデータのみを使った「葉身モデル」,葉鞘のデータのみを使った「葉鞘モデル」,葉身と葉鞘の両方のデータを使った「葉身+葉鞘モデル」の3種類の方法をそれぞれ検討するため,各モデルの作成に用いたデータセットの構成を表2に示した.
予測モデルの作成に用いたデータセットの構成
モデル名 | 学習データ | 検証データ | 合計 |
---|---|---|---|
葉身モデル | 158 | 40 | 198 |
葉鞘モデル | 158 | 40 | 198 |
葉身+葉鞘モデル | 317 | 79 | 396 |
101波長の反射率データを説明変数,ショ糖含量およびデンプン由来のグルコース含量の実測値を目的変数として,多重共線性の影響を受けにくい部分的最小二乗回帰(Partial Least Squares Regression: PLS)によって予測モデルを作成した.予測モデルの潜在変数の数は二乗平均平方誤差(Root Mean Square Error: RMSE)を指標として決定した.具体的には,10-foldクロスバリデーションにより学習データにおけるモデル作成時に潜在変数を増加させ,クロスバリデーション時のRMSECVの減少が見られなくなった時点の数を予測モデルの潜在変数の数とした.決定した潜在変数の数で各含量の予測モデルを作成し,検証データに適用した時のRMSEと決定係数(R2)を求めてモデルの評価を行った(表3).なお,学習データと検証データのランダム分割と,作成されたモデルの検証は複数回行い,割り当てられたデータによって検証の精度が大きく変化しないことを確認した.
光合成産物含量に関するPLSの結果
目的変数 | モデル名 | LVs | 学習データ | 検証データ | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
R2CV | RMSECV | R2 | RMSE | ||||
ショ糖含量 | 葉身モデル | 11 | 0.61 | 47.60 | 0.58 | 49.34 | |
葉鞘モデル | 9 | 0.57 | 25.09 | 0.73 | 22.17 | ||
葉身+葉鞘モデル | 10 | 0.52 | 48.23 | 0.63 | 47.39 | ||
デンプン由来のグルコース含量 | 葉身モデル | 10 | 0.78 | 12.12 | 0.89 | 8.96 | |
葉鞘モデル | 9 | 0.55 | 9.17 | 0.68 | 8.45 | ||
葉身+葉鞘モデル | 9 | 0.69 | 11.80 | 0.75 | 10.00 |
LVs:潜在変数の数,R2CV:クロスバリデーション条件での決定係数,RMSECV:クロスバリデーション条件での二乗平均平方誤差,R2:検証データでの決定係数,RMSE:検証データでの二乗平均平方誤差.
1画素ごとの反射率データにも同様の前処理(MSCおよび正規化)を施した.前処理後の反射率データに作成した予測モデルを適用して,1画素ごとのショ糖含量およびデンプン由来のグルコース含量を推定した.各画素のXY座標をもとに,推定した1画素ごとの光合成産物含量の分布をカラーマップ化して可視化画像を作成した.
可視化画像の作成には,暗処理によって植物体中の光合成産物を十分に減少させた後に連続的な明条件下で同一個体を経時的に撮影したデータを用いた.すなわち,同一個体内の光合成産物含量が増加していく過程を非破壊で可視化が可能であるか検討した.
6. データ解析環境本研究に使用したHS画像の読み込み,反射率データの算出,植物の部位別の範囲指定,CSV形式でのデータ保存については,HSカメラに付属の画像解析ソフトウェアHSAnalyzer(エバ・ジャパン)を用いた.
植物領域のセグメンテーション,バイナリ画像の作成,データの整形,PLS分析,可視化画像の作成においては,R(version 4.3.3)とその開発環境であるR studio(version 2023.06.2+561)を用いた.また,PLS分析にはRのplsパッケージ(version 2.8-2)を用いた.その他のRによる各種解析には,tidyverse(version 2.0.0)およびggplot2(version 3.4.3)パッケージを用いた.
通常栽培下のイネ幼苗を明所と暗処理後にそれぞれサンプリングし,部位ごとにショ糖含量およびデンプン含量(デンプン由来のグルコース含量として)の分析値を比較した(図3).部位・品種ごとに暗処理の有無で2群間の比較を行ったところ,葉身および葉鞘において,ショ糖およびデンプン由来のグルコース含量ともに,暗処理の個体の分析値が明所の個体の値よりも著しく低く,48時間の遮光によって植物体内の光合成産物含量が有意に減少した(t検定,ただし等分散でない場合にはWelchのt検定).この結果は,「コシヒカリ」と「IR64」の両品種において明らかであった.
次に,暗処理によって植物体中の光合成産物を十分に減少させた個体を明所に戻し,連続的な明条件下で経時的にサンプリングを行い,ショ糖含量およびデンプン由来のグルコース含量の分析値を比較した.「コシヒカリ」の結果を図4に,「IR64」の結果を図5に示した.両品種において,明条件に植物体を移行後,時間が経過するにつれて,葉身と葉鞘でショ糖とデンプン由来のグルコース含量が有意に増加し,ショ糖に比べてデンプン由来のグルコース含量が遅れて増加していく傾向が認められた(Tukey–Kramer法による多重比較).この傾向は,特に葉身で顕著であった.
前項で検討した光条件下で複数回に分けてイネ幼苗を栽培し,HSカメラによる撮影を行った.撮影したHS画像を解析し,セグメンテーションした葉身および葉鞘の部位別(図2下段)に植物領域全体の反射率データを平均化した.続いて,葉身および葉鞘の部位別のサンプルを用いて,ショ糖およびデンプン由来のグルコース含量の分析値を取得した.実験に供試したイネ幼苗を栽培した光条件と部位別のサンプル数を表1に示した.平均化した反射率データを説明変数,ショ糖およびデンプン由来のグルコース含量の実測値を目的変数として,PLSにより予測モデルを作成した.各含量について,葉身のデータのみを使った葉身モデル,葉鞘のデータのみを使った葉鞘モデル,葉身と葉鞘の両方のデータを使った葉身+葉鞘モデルの3種類を作成した.
ショ糖含量に関するPLS回帰分析の結果を表3に,予測値と実測値の関係を図6に示した.3種類の予測モデルについて,クロスバリデーションにより決定した潜在変数の数(LVs)と,その時のR2CVおよびRMSECVを表3にまとめた.また,作成したモデルを検証データに適用した際のR2とRMSEも同じく表3に示した.3種類のモデル全てにおいてR2は0.5以上であった.RMSEは22.17~49.34であった.ただし,予測値と実測値のプロット(図6)を見ると,葉身モデルおよび葉鞘モデルでは1:1の等値線付近に分布していたが,葉身+葉鞘モデルでは偏りが認められ,低含量域で等値線の上側に,高含量域で等値線の下側に分布する傾向があった.
デンプン由来のグルコース含量に関するPLSの結果を表3に,予測値と実測値の関係を図7に示した.ショ糖含量の場合と同様に,3種類の予測モデルについて,クロスバリデーションの結果を表3にまとめた.また,作成したモデルを検証データに適用した際のR2とRMSEも同じく表3に示した.3種類のモデル全てにおいてR2は0.5以上であった.特に,葉身モデルのR2が0.89と高かった.RMSEは8.45~10.00であった.予測値と実測値のプロット(図7)を見ると,いずれのモデルにおいても等値線付近に分布していた.
前項で作成した予測モデルを1画素ごとの反射率データに適用し,推定した光合成産物含量の分布をカラーマップ化して可視化画像を作成した.可視化画像の作成においては,葉身モデルと葉鞘モデルを使って部位ごとに可視化する方法と,葉身+葉鞘モデルを使って地上部全体を可視化する方法を検討した.
推定した光合成産物含量の分布を部位ごとに可視化した画像を図8に示した.実際のイネ幼苗の外見(RGB画像)を上段に,ショ糖含量の推定可視化画像を中段に,デンプン含量(デンプン由来のグルコース含量として)の推定可視化画像を下段に示した.「コシヒカリ」の結果(図8の左側)と「IR64」の結果(図8の右側)のどちらにおいても,明所移行後の時間が経過するにつれてショ糖含量の推定値が増加していく様子を可視化することができた.いずれの品種も葉身でいち早くショ糖含量の推定値が増加し,遅れて葉鞘でショ糖含量の推定値が増加していた.図8の下段に示したとおり,デンプン由来のグルコース含量の推定値が増加していく過程についても同様に可視化することができた.いずれの品種も葉身と葉鞘の各部位で先にショ糖含量が増加し,遅れてデンプン含量が増加していた.
地上部全体を可視化した画像を付図3に示すが,ショ糖含量の推定可視化画像およびデンプン含量の推定可視化画像ともに,図8で見られた傾向は同様であった.
HSイメージングを活用した植物の化学的特性の非破壊計測では,撮影したHS画像から抽出した各波長のスペクトルデータと,目的とする植物体の成分含量の計測値から,植物中の成分含量の予測モデルを構築していく.本手法を用いた植物体内の成分評価の事例は数多く報告されているが,植物の個体レベルの解析に目を向けると,部位別の特性評価や経時的変化の可視化には限界があった.本研究では,光合成産物のショ糖含量やデンプン含量が目的の化学的特性に該当する.研究材料のイネ幼苗を葉身と葉鞘の部位に分けることで,部位別の特性を把握できる評価系の構築を目指した.さらに,先に述べたHSカメラの強みを活かして,光合成産物含量の経時的変化の可視化を試みた.また,日本型品種の「コシヒカリ」とインド型品種の「IR64」を供試することで,両タイプのイネを対象とする汎用性の高い評価系を目指した.
評価系の構築にあたっては,各含量の変化を大きくした多様なサンプルを準備することが重要である.そこで,人為的に光合成産物含量を減少させた植物体を用意するためにイネ幼苗に暗処理を施した.さらに,暗処理後の個体を明所下で経時的にサンプリングすることにより,多様な光合成産物含量を持つサンプルを検討した.
暗処理(48時間の遮光)は,葉身および葉鞘のショ糖含量とデンプン由来のグルコース含量を著しく減少させる効果があることが確認された(図3).この結果は,「コシヒカリ」と「IR64」の両品種で同様であったことから,人為的に光合成産物含量を減少させたイネ幼苗を用意するために,日本型/インド型を問わず,暗処理が効果的な手法であると考えられた.栄養成長期のイネでは,暗処理3日目には貯蔵炭水化物がほぼ使い果たされること(加藤・田中 1981)が報告されており,今回の結果は良く類似していた.
暗処理後,明所下での経時的なサンプリングにより,ショ糖およびデンプン由来のグルコース含量が段階的に増加する多様なサンプルを得ることができた(図4および図5).各部位の分析値に注目すると,ショ糖含量に比べてデンプン由来のグルコース含量が遅れて増加していく傾向が認められた.この傾向は特に葉身で顕著であった.これは,デンプンが光合成産物の貯蔵形態であること(Stitt and Zeeman 2012)を良く反映している結果であると考えられた.また,ショ糖もデンプンも,葉身で先に増加し,遅れて葉鞘で増加する傾向が認められた.主要な光合成器官である葉身に比べて,葉鞘が光合成産物の一時貯蔵器官であること(村山ら 1955)を反映しているためと考えられた.
多様なサンプルを撮影したHS画像からセグメンテーションにより植物領域を抽出し(図2),部位別の反射率データを取得した.一般に,植物を対象にした近距離からのHSイメージングでは,白色板を基準として照明の影響(反射,影など)を補正するが,植物の形状が複雑であることから,平坦な形状の白色板補正は完全ではないとされている(Mishra et al. 2017, 2020).最近のいくつかの研究では,一つの解決策として,同じ植物領域由来の多くの画素のスペクトルデータを平均化することで,照明の影響を軽減させる方法が取られている(Ge et al. 2016, Pandey et al. 2017, Bruning et al. 2019, Lin et al. 2022).そこで,本研究においても植物領域全体の反射率データを平均化し,各個体・各部位の代表値として,予測モデルの作成に使用した.ここで,ショ糖含量およびデンプン由来のグルコース含量と,各波長の反射率データの相関分析を部位別に実施したが,各含量と強い相関がある特定の波長は認められなかった(付図2).
平均化した反射率データを説明変数,ショ糖およびデンプン由来のグルコース含量の実測値を目的変数として,PLSにより予測モデルを作成した.一般に,本研究に用いた可視・近赤外域のスペクトルデータにおいては,波長間に高い相関が存在するとされているため,多重共線性の影響を低く抑えることができるPLSを回帰分析法として採用した.また,異なる部位に由来するデータの影響を検討するため,3種類の方法(葉身モデル,葉鞘モデル,葉身+葉鞘モデル)でモデルを作成して各モデルの精度を比較した.
ショ糖含量の予測モデルは,全てR2が0.5以上であり(表3),可視化画像の作成に適用可能と考えられた.ただし,葉身+葉鞘モデルでは低含量域で過大評価,高含量域で過小評価が見られた(図6).この理由として,特性が異なる2つの植物組織が混在していることが考えられた.デンプン由来のグルコース含量の予測についても,3種類のモデル全てにおいてR2は0.5以上であり(表3),可視化画像の作成に適用可能と考えられた.よって,イネ幼苗のショ糖およびデンプン由来のグルコース含量については,部位別の評価が可能で,日本型およびインド型の両品種を対象とした汎用性の高い光合成産物含量の予測モデルが構築できると考えられた.ただし,デンプン由来のグルコース含量の葉身モデルはR2が0.89と非常に高く,学習に使用したデータ(すなわち「コシヒカリ」および「IR64」の両品種)に過学習となり,新しい品種が評価対象となった場合の対応力が失われていることが懸念された.学習に使用したイネ品種以外の品種由来のデータへの適用性を検討することによって,この懸念点を確認することができる.
HSイメージングによる特性評価の大きな魅力は,2次元のスペクトルデータを解析することで目的とする情報の分布が可視化されることである.本研究では,ショ糖含量について葉身モデルと葉鞘モデルを使って部位ごとに推定した可視化画像(図8中段)と,葉身+葉鞘モデルを使って地上部全体を推定した可視化画像(付図3中段)を比較した.どちらの推定可視化画像でも,「コシヒカリ」と「IR64」の両品種において,ショ糖含量が増加していくと推定される過程を可視化できた.いずれの結果も実測値の推移(図4AおよびB,図5AおよびB)と類似しており,両品種の推定可視化画像において葉身でいち早くショ糖含量が増加し,遅れて葉鞘でショ糖含量が増加していた.また,相対的に葉身で含量の推定値が高い点(緑色~黄色)が多く,葉鞘に含量の推定値が低い点(青色)が分布しており,この傾向も実測値を反映していた.しかし,図9に拡大したように,推定可視化画像の色が示すショ糖含量の数値(青色:0~100 μg/mgDW,緑色~黄色:200~300 μg/mgDW)に注目すると,部位別の推定可視化画像が実測値をより反映し,各部位の特徴を良く表していた.一方,葉身+葉鞘モデルでは低含量域で過大評価,高含量域で過小評価が見られた(図6).
デンプン由来のグルコース含量の推定可視化画像についても,部位ごとに推定した可視化画像(図8下段)と,地上部全体を推定した可視化画像(付図3下段)を比較した.ショ糖の場合と同様に,「コシヒカリ」と「IR64」の両品種において,デンプン由来のグルコース含量が増加していくと推定される過程を可視化できた.いずれの結果も実測値の推移(図4CおよびD,図5CおよびD)を良く反映しており,両品種とも葉身の含量の推定値がいち早く増加し,遅れて葉鞘の含量の推定値が増加していた.
以上の結果より,HSイメージングを用いてイネ幼苗の光合成産物含量の非破壊評価系を構築できた.本評価系は部位別の評価が可能で,ショ糖含量およびデンプン含量の分布を推定して可視化できる.HSデータとPLS回帰を用いてショ糖やデンプンの含量を推定した事例はすでに報告されている(Frey et al. 2020, Burnett et al. 2021, Grzybowski et al. 2021)が,いずれもHSカメラではなく分光放射計による計測であった.分光放射計はHSカメラよりも簡便で,携帯型であれば圃場での計測も可能であるが,2次元情報を取得できない.HSカメラを使用して2次元のHSデータを取得し,植物体内の光合成産物含量を可視化した点が本研究の強みであると考える.また,部位別の予測モデル(葉身モデル,葉鞘モデル,葉身+葉鞘モデル)を作成したことで,可視化に適した予測モデルを選択することができ,評価精度を向上できた.さらに,日本型/インド型の両品種を対象とした汎用性の高さも大きな魅力である.これらの利点を活かして,本研究では,同一個体における光合成産物含量の経時的変化を可視化する新たな事例を示すことができた.これは,貴重な研究材料を無駄にできない育種研究の現場において,本手法の活用と発展につながる成果と考えられた.
本研究で得られた評価系は,他の品種や栽培条件へ本手法の適用可能性を広げる一歩となる.一方で,品種特性を評価するためには,幅広い品種や生育状況ならびに栽培条件に頑強な評価系であることが求められるが,供試した2品種以外の品種への適用性が検討できていないため,育種研究の実用場面を想定すると課題が残る.今後は,光合成が旺盛な品種や多収の品種など,光合成産物含量に特徴を持つ可能性のある品種なども考慮して多くの品種のデータを収集し,予測モデルの適用性と精度を検証・改良していく必要がある.また,異なる栽培条件や生育段階での適用性も検証することで,育種研究への応用範囲のさらなる拡大が期待できる.栽培条件であれば,ポット栽培の個体や圃場で栽培した個体への適用可否が想定される.生育段階であれば,幼苗だけでなく,さらに生育の進んだ栄養成長期の個体や,穂を付けた生殖成長期の個体への適用性があげられる.このように個体のサイズが大きくなった場合には,上方からの撮影が難しいため,撮影の工夫が必要となる.また,個体が大きくなるほど撮影のスループットが低下するため,作業効率の観点からも改良の余地がある.生物学的な視点だけでなく,例えば,上方と側面にHSカメラを備えた撮影装置とベルトコンベアを組み合わせた機械的な研究(Ma et al. 2019)や,圃場で使用可能な携帯型のHSイメージング装置の開発(Wang et al. 2020)など,農業工学的な分野との融合も本手法のさらなる発展に寄与できる.
本研究を実施するにあたり,神戸大学大学院農学研究科伊藤博通教授にHSカメラによる撮影と画像解析に関するご指導,ご助言をいただきました.ここに記して感謝の意を申し上げます.また,住友化学株式会社で実施したイネ幼苗の栽培管理や撮影にご助力いただいた田丸敬次郎氏に感謝申し上げます.
付表1.LC-MSの分析条件.
付図1.解析に使用したHS反射率データの分布.
付図2.HS反射率データとショ糖およびデンプン含量の相関分析の結果.
付図3.地上部全体を可視化したイネ幼苗の光合成産物含量の分布.