抄録
本稿は、『狂った一頁』(衣笠貞之助監督、1926 年)の精神病表象を分析するものである。これまで本作については前衛性に関心が集まり、西洋の前衛映画との影響関係や、近代批判が読み解かれてきた。対して、 医療制度の西洋化と病の文学が興隆した時代の新派映画として、本作の精神病表象を分析することで、その両義的な政治性を明らかにすることが本稿の目的である。精神病患者の知覚を前衛的に見せる本作の手法には、これまで近代批判が読み込まれてきたが、精神病患者の身体と精神病院の空間に着目した分析によって、映像技術と病をめぐる近代的な文脈において成立したものであったことを明らかにした。また、新派映画として女性の身体を中心としたジェンダー秩序によって精神病表象が構成されており、そこには病と映画をめぐる政治が刻印されていることを指摘した。