天保12年(1841)閏正月19日から,江戸中村座にて,「魁源平躑躅」(さきがけげんぺいつつじ)が上演された。この芝居には,江戸歌舞伎を代表する役者,五代目市川海老蔵(=七代目市川團十郎)が出演しており,その時の歌舞伎台帳(一般財団法人宮本記念財団所蔵)が,60年後の明治34年(1901)年10月17日には山梨地域にて書き写されていたことが確認された。台帳に記されている内容から,山梨地域の俳優である市川壽三郎が,この台帳を用いて「魁源平躑躅」を上演していたことがうかがえる。本報告では,同じ芝居が,江戸での上演の60年後に山梨地域の俳優によって上演されたことを踏まえて,江戸歌舞伎の芝居台帳が,山梨地域へわたった過程について言及し,当台帳からうかがえるコミュニティ(地域)アーカイブの有効性について検討していく。