抄録
本稿は、文化人類学の立場から、1999年にトルコ共和国で発生したコジャエリ地震を事例にした考察を通じて、「復興とは何か」という問いに関わる議論に貢献することを目的とする。まずトルコにおける社会関係のあり方や災害に関わる法制度を概観したうえで、この、8県で1万8千人近い死者を出したコジャエリ地震後の動きや被災者の語りを示す。震災後5年から10年後にかけてコジャエリ県ギョルジュク市などで筆者が行った調査において、被災者の「復興」についての語りはわずかであった。この点について、政府主導のプロセスに住民が主体的に関わることが少なかったことに加え、トルコにおいて日本のような意味で「復興」という言葉が機能していないということが関わっていると指摘する。そのうえで、「復興」というものを捉え直す必要性を主張するとともに、トルコ的なネットワークとして災害を考えてみる可能性について論じる。