抄録
従来の広島「復興」史の主潮流は行政を「復興」の主たる行為者として捉えてきたため、生活当事者としての被爆者の戦後史が後景に追いやられてきた。本稿では、一人の被爆者、切明千枝子さんが筆者との応答の中で発した「私たちの復興」という言葉を手がかりに、彼女の個人史を描くことを通じて、被爆者にとっての復興へと接近を試みる。切明さんは、「復興」言説に対し三つの違和感を有しており、その違和感を再確認し、今後のあり得べき「復興」の歴史叙述について思いを巡らせる過程を経て、〈私たちの復興〉という言葉を獲得するに至った。そのような「復興」の記述は、暴力によって非人間化された人間が、人間的で豊かな生を取り戻そうとする営為として描写されるものとなるだろう。