抄録
本稿は、災害復興という語について、われわれはそこに何を読み取るのか、なぜ災害復興という語を用いて説明しようとするのか、という問いを既往研究のレビューからあらためて整理しつつ、ショック=ドクトリンやBuild Back Betterといった近年の概念への批判の妥当性を明らかにしたものである。検討の結果、近年の研究における災害復興とは、自らが災害復興に何を求めていくのかを議論し、調整し、妥協し、責任を負う社会創造の過程であり、その過程において社会像を形成する過程を経験しえたかが問題とされていること、同時に、全体最適という意味での「公共の福祉」の理念が、このような社会創造の過程をこれまで付随的なものにおしとどめてきた状況があらためて明らかとされた。そのなかで、ショック=ドクトリンやBuild Back Betterは単純な開発批判としてではなく、中央集権による一律的な整備が展開する構造への批判であるという批判の妥当性も示された。