抄録
本研究は,建築家アルド・ロッシの手記における内的な設計プロセスの醸成としての設計論的発展について分析を行う.たとえばロッシは,「モデナ墓地」を設計する際に「〇△□」の図式を禅画から抽出し,建築意匠設計の形式の変化に伴う「シェマ」の変化を彼の手記『青のノート』に記していた.1972年に設計された「ファニャーノ・オローナの小学校」へと至る過程は手記でシェマの発展が段階的に記され,最初に『青のノート』11巻で初期案として現れる.この初期のスタディでは「モデナ墓地」から発展させられ,円形を頂点に置いた3本の十字をおいた配列が変容し,軸線を残して中庭が作られ,「宮殿形式」の配置が示される.その後,1972年5月-7月にかけて,ロッシが基本設計の決定案における設計シェマを確立し,初期案と決定案に「十字のシェマ」を,平面図式を変更させながらも,一貫して建築設計に適用したことが示された.