抄録
洋の写実的な絵画空間は, 線遠近法の発見にしたがって見えるように描けるようになった。また画面上の陰影表現は, 2次元の画面に3次元の空間を仮象的に描きだすために重要な技法の一つである。空間を明確に再現しようとするときに, 光が描かれなければ対象の立体感は弱くなるが, 陰影表現が巧みであれば, 果たして描かれた空間を確実に認識できるのだろうか。本稿では, 写実的な日常生活を描いたフェルメールを取り上げて, その空間と陰影表現を図法的に探る。フェルメールは透視図法によってその作品を描いたのではなく, カメラ・オブスクーラを用いたとも言われている。画面上の光の描出の特徴から, カメラ・オブスクーラの使用を想像させるが, ここではそれを解明するものではなく, 彼が描こうとした情景に, どのような光と陰影を意識していたかを考察する。結果として, 彼の描いた空間は透視図的には精確に形づくられていた。陰影表現については, 「陰」は描かれているけれど, 「影」は精確に描かれていなかった。そのために一体感を欠いた空間になっている。フェルメールの画面に感じる時間が止まったような印象は, これらの要素にかかわると思われる。しかし彼の描こうとした世界が, 単に日常生活の情景ではなく, 教訓的なメッセージをもった物語であれば, フィクションとしての描かれたその世界は充分に伝わってくる。観者は精確に陰影が描かれずとも, 空間やものの形を認識できるから, 物語を読み取ることができる。