日本の精神医療体制の形成過程を明らかにする上で、精神病者処遇の制度に埋め込まれていた救貧的機能の検討は重要であると考えられるが、これまでの先行研究では軽視されてきた。本稿は、1930年代の京都市を対象に、救護法による貧困精神病者の処遇がどのように実践されたのかについて、方面委員の動向に着目した。その結果、救護法の運用を担った方面委員は、「監置を要さない貧困精神病者」を貧困世帯に見出し、世帯を貧困から救済するため、同法による病者の収容を求めていたことを明らかにした。また、その訴えは市の社会事業施策に影響を与え、貧困精神病者の収容施設開設に結実したことも示した。救護法下で貧困を理由とした精神病者の収容を推進したのは、生活に困難を抱える人の相談を受け援助を与える立場で精神病者と関わっていた方面委員であった。