2002年7月、「画期的な夢の新薬」「がん撲滅の時が来た」との華々しい謳い文句で、抗がん剤イレッサが登場した。大きな前評判に、国も後押しする形で医薬品としては初の特定療養費制度(現行:保険外併用療養費制度)を適用、前倒しで販売を開始した。しかし直後から死亡被害が相次ぎ、販売から45日で緊急安全性情報が発出される事態となり、わずか半年で190余名の命が奪われなおも被害は拡大し続けた。当時の危機管理はどのように行なわれていたのか。がん医療のなかの特に抗がん剤治療に対する現場の考え方。製薬会社と医療界の情報に対する共有の在り方。厚生労働省の抗がん剤における承認制度の問題等々に対し被害遺族の視点からその疑問を考察した。
薬害スモン研究における保健社会学研究は、薬事行政、製薬企業の行動、医学・薬学の専門職の意識およびふるまい、情報の独占、権力性等の社会構造の解明に向かった点で従来の社会疫学としての視野を大きく広げた点で貢献した。被害者の被害に関しても、健康被害の枠を超えて被害構造の解明に向かった点で、従来の社会疫学としての視野を大きく広げた。他方、薬害HIV調査研究事業では、当事者参加型アプローチの適用によって、これまでの薬害被害者としての位置づけから、被害を克服しようとする主体としての患者・家族に光を当てた研究が行われた。このことは、従来の社会疫学研究の枠組みにとらわれない保健医療社会学としての固有の視座をもたらし、研究の転換点になったと考える。
薬害HIV被害者は、訴訟が和解した1996年から、被害者が「生きるための調査」として患者・家族・遺族の生活調査に着手した。調査研究のあり方の検討から各調査の設計や結果解釈に至るまで、研究者との協働で実施した一連の調査では、当事者が調査者となることによる科学性と当事者性の両立を模索した。健康被害の負の側面だけでなく、尊厳を保って生きる被害者の力など正の側面への着眼も重視した。本調査事業で得た知見や経験は、他の健康被害者や健康問題をもつ人の生活調査においても示唆のあるものである。
私たちが薬害調査・研究にかかわるようになって20数年が経過した。本稿は薬害調査・研究について大きく2つのことを論じる。第1はこれまでの私たちの調査・研究のふりかえりである。私たちの薬害調査・研究の固有性は、当事者との長期にわたる共同の調査・研究である点にある。第2は今後の調査・研究の課題を示す。これまでの調査を通して、当事者において薬害に対するリアリティに違い(差異)があることがわかっている。このことが、場合によっては調査倫理上の難問を引き起こしうることを論じる。
「保健医療社会学者」であった飯島伸子が園田恭一や片平洌彦らと参画した薬害スモン調査は、患者宅を訪問し、スモン被害者に徹底的に寄り添うという医学研究とは異なる立場からおこなわれた。調査成果は医学者からの批判を受けつつも、飯島は生活水準の低下や差別など生活全般にわたる「被害」の様相を克明に描き出す理解図式を提示するに至った。この図式はのちに「被害構造論」として結実し、現在はおもに環境社会学で引証される分析枠組みとなっている。飯島の問題意識は、こんにちの薬害調査研究にも引き継がれているといえ、薬害や健康被害を理解するための重要な理論的示唆を示し続けている。
スティグマ論は、「普通」とは異なる外見的特徴がもたらす困難を解明する際に、外見的特徴が伝達する社会的情報や、外見的特徴の知覚のされやすさに着目してきた。一方、こうした見方は、外見的特徴が特定の病気や外傷などを表わす記号(シンボル)として社会的に周知されていないことに伴う困難を捉えそこなってきた。そこで本稿は、小耳症の当事者に対して行った手術痕に関するインタビュー過程の省察を通じて、「シンボル化していない外見的特徴」に起因する困難を解明するとともに、その困難の理論的説明を試みる。分析の結果、自家移植による胸部と鼠径部の手術痕は、耳の病気を表すシンボルとして機能しないため、予備知識や説明がなければ、小耳症との関係が非連続的に映るという問題が明らかになった。本稿はこの結果から、シンボル化していない外見的特徴はそれを認知する他者との間で乖離を構成すると指摘し、これを「認知的乖離」と概念化している。
本研究の目的は、外傷により脊髄を損傷した人がそのからだで生きるということをどのように経験しているのかを現象学的記述により開示することである。データは、受傷後間もない時期の頸髄損傷患者2名のフィールドワークにて収集し、現象学の思想を手がかりに分析、記述した。結果では、Aさんの「自分であって自分でない」、Bさんの「自分でも何がなんだかよくわからない」という語りに着目した。Aさんにとっては、自分の意識している通りに自分のからだが動いていると把握できないことが「自分」であることを揺るがすような経験になっていた。またBさんにとっては、自身のからだの違和感がなぜ起こっているのかを理解できないことが自分のことなのによくわからないと経験されていた。そして彼らは、「よくわからない」等々と語りつつ、自分のからだについての理解を他者とともに更新させていた。
本稿の目的は、食物アレルギーの子どもの母親の語りを通じて、「食べて治す」治療が浸透する中で、母親たちは「より良いケア」を達成するためにどのような実践をおこなっているのか明らかにすることである。分析の結果として、食事の文脈に位置づけられる母親の実践には、食物アレルギーの適切な治療という医療的文脈において、食物抗原の経口摂取と表現される実践とは質的に異なるはたらきかけや意味づけが含まれていることを見出した。具体的には、子どものための「より良いケア」を達成するために子どもの気持ちや嗜好を対象とした感覚的活動が母親によって担われていることを、母親たちの語りの中から析出した。「食べて治す」治療の浸透によって、完全除去を原則とする時代には想定しえなかった子どもの気持ちや嗜好を母親たちが参照する機会がもたらされ、「より良いケア」をめぐる母親たちの実践が複雑化し、時に判断を難しくさせていた。
オーストラリア・ビクトリア州において2017年に安楽死を認める「自発的幇助自死法」が成立し、2019年6月から施行された。本法により、ビクトリア州に居住する18歳以上の成人で、意思決定能力があり、耐え難い苦痛を伴う症状を持つ余命6か月以内の終末期の患者に対して、医師の幇助による自発的自死が認められることとなった。その後、残るオーストラリア5州においても自発的幇助自死を認める法律(VAD法)が成立した。また、2022年12月には連邦議会において北部準州およびオーストラリア首都特別地域における安楽死に関する立法権限を回復するための法案が可決され、2024年6月には、首都特別地域においてVAD法が成立した。本研究では、オーストラリア各州および首都特別地域で成立したVAD法の特徴と相違について比較分析し、オーストラリアにおける自発的幇助自死の法制化の流れと課題について検討する。
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