消費者の贅沢欲求が作り出す市場はグローバルに拡大し,その規模や成長率から見て重要な市場細分となっている。贅沢市場は海外旅行などによるモバイル消費やネット通販を伴うため,一国の地理範囲を超える国際市場でもある。その中で地理領域としての日本も,消費者としての日本人も,欧州,米国,中国と並ぶ重要な地位を占めている。
この重要性にもかかわらず,流通・マーケティング視点からの贅沢研究は欧米でも少ない。とくに日本の研究者は寡黙である。その原因は贅沢を一つの概念変数と想定した実証研究の困難さにある。贅沢や贅沢品の明確な概念設定ができず,贅沢属性の実証結果もあまりに多様で統合できていない。一定の贅沢属性からなる贅沢概念変数を前提に実証研究を進める代わりに,経済社会ダイナミクスを背景にした出来事概念の観点から,多様な贅沢品や贅沢属性の変動そのものを解明するアプローチへの転換が必要である。
青空に浮かぶ雲は様々に形を変える。大きくなったり小さくなったり,融合したり離散したりしながら漂流して,その形状はとどまるところがない。雲はこのような変化の繰り返しの中にある。贅沢市場を作り出す贅沢欲求もこのような雲である。
古来,贅沢欲求は権力・地位を求める人間行動を支配した。その後,近代にいたるまで贅沢禁止法など政治的抑圧,宗教的戒律などの縛り,倫理的非難にも耐えて,贅沢欲求は時代によってその形を変えながら,しぶとく生き残ってきた。近代になると,贅沢欲求は以上のような縛りから次第に解き放たれるようになる。それに貢献した要因は,自由主義的経済思想,産業革命,女性解放など,近代を特徴づける歴史的出来事であった(Berry, 1994)。
これらをふまえて,現代では民主主義の進展,経済成長による所得水準の上昇,グローバル化にともなう新興国と世界市場の登場,さらにTVやインターネットなどコミュニケーション技術の発展や外国旅行の増加により,贅沢欲求の追求は自由になった。一定の所得水準さえ確保できれば,誰でも贅沢に多かれ少なかれアクセスできるようになった。とくに前世紀の90年代から21世紀初頭にかけて贅沢民主化の波(Bernstein Research n.d.; Plazyk n.d.)が到来した。
贅沢民主化によって,多様な財・サービスの分野で,新市場の出現・成長と旧市場の停滞・消滅が生じている。贅沢欲求は古来,衣食住遊での快楽,いわば生活美学の追求を目指した人間の強い基本欲求であり,現代市場でも,技術革新とともに市場ダイナミクスのもっとも重要な根源の一つである。しかし,技術革新やイノベーションの研究が隆盛を極めているのとは対称的に,贅沢欲求やそれが生み出す市場ダイナミクスにかんして,マーケティング・流通研究は数少ない(Bilge, 2015; Cionea, 2012)。とくにわが国の研究者は寡黙である。
これは流通・マーケティング研究者のアイデンティティから見ると奇妙なことである。風見鶏のように,市場の変化ベクトルに研究の焦点を合わせること,市場の重要セグメントや新トレンドを他の諸学に先駆けて研究対象にすること,これらの点にこの分野の研究者のアイデンティティがあるからである。 市場規模とその成長性からみた,贅沢市場の重要性の現実認識に欠けているのだろうか。贅沢研究を避ける何らかの呪縛があるのだろうか。それともマーケティング・流通研究にとっては,いくつかの難問を含んでいるからだろうか。
若者市場,高齢者市場,高所得者市場,コンビニ市場などといった市場細分カテゴリーにくらべると,贅沢市場は実証的に捕捉しがたい。しかし,捕捉困難ということとその細分市場の重要性とは別問題である。明確に見えない市場細分にしばしば重要な市場機会が隠れている。たとえば,コンビニが話題になった1970年代当時に,コンビニ欲求を明確に捉えていたマーケターは,セブン-イレブンなどごく少数であった。このことはその後にコンビニの産業標準フォーマットになった同社のフォーマットが,当時の状況では多くの属性について異常値であったこと(田村,2014)にも示されている。
学会の動向とは関係なしに,先端的なマーケターは贅沢市場に強い関心を持っている。贅沢市場とは贅沢品についての需要であり,人から見ればそれへの欲求を持つ消費者の集まりである。この贅沢市場の重要性は何よりもまずその市場規模と成長率によって見ることができよう。しかし,贅沢市場全体についての時系列的な調査資料は少ない。マスコミはじめ多くの研究者が依拠する代表的データは,コンサルティング会社,ベイン&カンパニーによって提供されているもの(D’Arpizio, 2015; D’Arpizio et al., 2015)である。同社は贅沢ブランドの供給者データにもとづき,贅沢品の小売販売額を推計している。以下この調査をB&C調査と略称しよう。
近時の同社調査は,表1に示す10種の製品カテゴリーでの贅沢品に基づいている。それらは衣食住だけでなく,「遊」としてまとめられるような移動手段やサービス領域にまで及んでいる。その共通特性は高額製品という点にある。調査によれば,これらの贅沢品世界市場の規模は2015年に1兆ユーロを超えた。日本円(1ユーロ=130円)にすると,130兆円を超える。しかし,この10カテゴリーは贅沢市場の80%にすぎないという。そうだとすれば,日本円で162兆円になる。同じ年の日本の小売販売額140兆円をはるかに超える市場規模である。
・個人用贅沢品 | ・高級食品 | ・ヨット |
身の回り品(靴,皮革製品) | ・高級ワイン・酒 | ・自家用ジェット |
アパレル | ・デザイナー家具 | ・高級ホテル |
貴金属(宝石,時計) | ・美術品 | ・高級クルーズ |
美容品(香水,化粧品) | ・車 |
この種の贅沢市場はその成長率も高い。日本の小売販売額成長率との対比で見てみよう。日本の小売販売額は1994年に145兆円であり,2015年には140兆円になった。その間の年平均成長率は–0.0015%であり,ほぼ停滞している。世界の贅沢市場の時系列データは表1の製品カテゴリー全体についてはなく,利用できるのは個人用贅沢品のデータである。個人用贅沢品はいわゆるブランドものである。このカテゴリーは2015年の贅沢市場の24.2%を占め,高級車の38.8%に次ぐ第2位である。
B&C調査によれば,個人用贅沢品市場は1994年では730億ユーロであったが,2015年には2530億ユーロにまで成長した。その間の年平均成長率は6.1%である。贅沢市場全体も同じように成長してきたと推察できる。実際に2014年と15年の成長率(一定為替レート)を見ると,個人用贅沢品の成長率は1–2%であるのに,自家用ジェットとヨットを除く残りのカテゴリーの成長率はこれをはるかに上回っているからである。いずれにせよグローバルに見ると,贅沢市場が成長率の高い市場セグメントであることには間違いはない。
日本市場の観点から見ると贅沢市場はどのような重要性を持っているのだろうか。贅沢品の消費者行動はモバイル消費の影響を強く受ける。モバイル消費とは旅行などに伴い居住地を遠く離れた場所での購買・消費である。発展国・新興国で外国旅行がグローバルに拡大したため,モバイル消費はこの十数年に大きく拡大した。買い物が外国旅行の目的・楽しみの一つであることを反映して,モバイル消費は贅沢市場に大きい影響を与える。贅沢品はモバイル消費のもっとも重要な対象である。この観点から見ると,日本にとっての贅沢市場の重要性を評価するさい,2種の観点が必要になろう。日本人が作り出す贅沢市場と日本国内での贅沢市場である。
経年的データが利用可能な個人用贅沢品について見てみよう。日本人の贅沢消費は2015年で228億ユーロ(2.964兆円)であり,世界市場の10%を占めている。しかし,その購買先の約3分の1は外国での消費である。日本人の贅沢消費は2000年には世界市場の4分の1を占めていたがそれ以後に低下した。代わって急速に台頭しているのは中国人の贅沢消費である。2000年には世界市場の1%に過ぎなかったが,2015年には約33%にまで拡大している。
地理市場としての日本国内の贅沢市場はどうか。2015年での市場規模は200ユーロ(2.6兆円)である。しかし,このうちの24%は外国人によるものである。とくに中国からの観光客が大きく貢献した。彼らの爆買いによって,百貨店などが大きく息を吹き返したことは新聞報道で伝えられているところである。このように1国の観点から見ると,贅沢市場はグローバル・ダイナミクスによって大きく変動する。その内容は各国の経済発展,国際観光の動向,通貨の強弱,税制による価格差などである。
いずれにせよ,贅沢市場はグローバルに見ても,また日本の観点から見ても無視できない市場細分である。流通・マーケティングの実証研究の対象を製品カテゴリーに見ると,日用雑貨,加工食品,カジュアル・アパレルなどがとくに多い。これらに投入されている研究努力は,市場規模との相対比で見ると,贅沢品研究をはるかに上回っているだろう。市場規模との相対比で見た研究努力の投入量から見ると,贅沢研究は非常に低く看過されている領域であり,流通・マーケティング研究のフロンティアである。
研究対象としての贅沢の重要性は,たんにその市場規模や成長率だけではない。消費者欲求という観点から見ても,贅沢はきわめて重要な欲求である。そのわけは贅沢が市場ダイナミクスを先導する点にある。経済発展により所得水準が上がると,消費者がまず充足しようとするのは贅沢欲求である。こうして贅沢消費は経済発展国に集中する。2015年で世界の個人用贅沢品市場の85%は,中国人,アメリカ人,ヨーロッパ人,そして日本人で占められている。
贅沢欲求は新製品・サービスの登場を促すもっとも重要な誘因でもある。とくに革新性の高い製品の多くはその最初の市場標的として贅沢市場を狙うことが多い。さらに贅沢欲求の先導性は他の市場セグメントへの影響にも見られる。この影響は2面的である。一つは中・下流市場による模倣であり,他の一つは対立物の誕生である。ある贅沢品が社会成層の上流で普及し始めると,それの模倣がヨリ下の階層でも始まる。また,贅沢が普及すると,シンプル・ライフなどを満たす製品・サービスが贅沢への対立物として誕生することがある。このような意味で,贅沢欲求とそれによって生まれる市場は,市場ダイナミクス全体の震源地でもある。
贅沢が生み出す市場ダイナミクスは,贅沢の自己組織的性格にも見られる。とくにマーケターは差別性基盤としての贅沢に注目し,贅沢をマーケティング・メッセージに多用するようになった。これによって贅沢はそれ自体のカテゴリーさえ変え,自己増殖する。贅沢はいわゆる贅沢品から通常の日常品まで拡がりつつある。その典型例はプチ贅沢である。
プチ贅沢とは日常的な購買よりも少しだけ値の張る支出である。その対象としては,ケーキ・チョコレートなどのスウィート,高級ワイン,プレミアムビール,高級ランチや飲み会などの外食が上位を占める。普段は100円の缶コーヒーのかわりにスタバで500円のコーヒーを飲む,普段の発泡酒に変えてビールを飲むといったことも,プチ贅沢と考えられている。大都市の都市型百貨店は地下1階や1階などの表舞台の売場にスウィートなどを展開するようになったこともこのプチ贅沢への対応といえよう。
百貨店などマーケターの対応から見ると,プチ贅沢を生活にとって必要不可欠であると考える人はかなりいる。それによってストレスを解消したり,家族や自分の誕生日・記念日などでのささやかな贈り物になるからである。普段は贅沢生活に縁遠い人が行うささやかな贅沢,これがプチ贅沢である。だれでも日常生活とは異なる非日常的な時間を持ちたい。プチ贅沢は,ほとんどの人が贅沢への欲望を多かれ少なかれ持っていることを示している。
流通・マーケティング研究から消費者欲求という言葉を取り上げたら,ほとんどの研究者は重要問題を語れなくなるだろう。ヴェブレン(1998)やゾンバルト(1987)など一部の経済学者を除けば,経済学は欲求内容には立ちいらず形式的な選好概念を想定した。これとは対照的に,流通・マーケティング研究者は消費者欲求の内容に踏み込んだ。ブランドや店舗の属性から見たその競争差別性の研究は中心的な研究課題であった。それだけでなく,新製品開発や業態開発に関連する消費者欲求の変化動向に関して強い関心を向けてきた。このような流通・マーケティング研究の特質から見ても,贅沢研究の貧困は奇妙なことである。
その重要性にもかかわらず,贅沢研究はなぜ少ないのだろうか。とくに日本の場合,その理由の一つには贅沢語義による呪縛があるように思われる。とくに年配層の研究者は贅沢の辞書的意味に束縛され,この研究対象に関心が持てないのかもしれない。そのわけは国語辞書での贅沢の否定的な語調にある。
たとえば,日本国語大辞典では,①普通以上に金銭などを費やして物事を行うこと。また必要以上のことをあれこれと望むこと,また,そのさま,②(金銭以外のことについて)普通以上であること。またそうなろうとすること,③豪華であること。高級なさま,といった意味が示されている。広辞苑でも同様に,その意味として,①必要以上に金をかけること,分に過ぎたおごり。②ものごとが必要な限度を超えていること,といった意味が示されている。
贅沢の類語を見ると,「角川類語新辞典」では,奢侈,驕奢,豪奢,栄耀栄華,暖衣飽食,派手といった用語が挙がる。これらに共通する意味は,派手に金を使い,度を過ぎた消費をすることであり,否定,非難的な語調がある。贅沢の反義語は質素である。その関連語を見ると,倹約,節約,地味,簡素,素朴,清楚,粗衣粗食などがある。これらに共通する意味は,生活ぶりが控えめなこと,無駄を省き,飾らないさまである。
国語辞書やその類語の共通点は,贅沢という用語の否定的でマイナスの語感である。この語義は贅沢の語源的意味を踏襲している。用語の語義が意味空間の広がりを問題にするのに対して,語源は意味の時間的な変化を表すものである。抽象概念を表す熟語をつくるのに,日本人は漢字の組み合わせを多用してきた。その多くは中国古典やその漢文書き下し文などに基づいている。しかし,江戸期までの種々な用語につき,その使用例を示す漢籍や古文からの引用文を編集した全20巻に及ぶ類書(物集,1916–18)をみても,贅沢という用語は現れない。
この点から見ると,贅沢という用語は,おそらく明治以降に現れた会意文字であり,その後に普及した和製熟語であろう。会意文字は指示文字や象形文字の組み合わせで造語する。「贅」は貝と敖を組み合わせている。「貝」は貨幣としても使われた宝貝の貝である。「敖」は音では「ごう」,訓では「おご」ると読む。「貝」と「敖」を併せると,おごるほどの多額の財貨を意味することになる。「沢」は水たまりを意味し,訓では「うるおい」とも読む。漢字の意味だけから読めば,贅沢は奢るほどのカネが潤っている状態を表わし,奢るという非難的な意味合いが込められている。たとえば,日本国語大辞典は「贅沢なる奴とのご叱責を蒙候…」といった坪内逍遙の小説「当世書生気質」での用例を記載している。
しかし,今日では多くの人の日常用法は,プチ贅沢といった用語法からも窺えるように,国語辞典が示す意味から離れ始めている。その語感はむしろ英語のラグジュアリーに近い。ラグジュアリーは贅沢に対応する英単語である。英英辞典(オックスフォード現代英英辞典)を引けば,その意味は①とくに飲食,衣服,および周囲状況について,特別で高価なものを楽しむこと,②高価で楽しめるが必要不可欠ではないもの,といった意味がある。①が行為としての贅沢であり,②はモノとしての贅沢,つまり贅沢品である。
ラグジュアリーは,必要不可欠でないものという否定的語感と,楽しむという肯定的語感,これら2つを併せ持っている。現代用法でのラグジュアリーの意味は両義的なのだ。この両義性は贅沢語義の歴史的変遷を反映している。否定的な語感は近代までの伝統的な意味を代表し,「楽しむ」という語感はアダム・スミス,マンデビル,ヒュームなどにより近代になって切り開かれた贅沢の新しい意味(Berry, 1994)を代表している。この意味の歴史的変遷は,消費という言葉と同じである。消費の意味も近代にいたるまでは否定的なトーンを持っていたが,その後大きく変遷した(Williams, 1976)。
いずれにせよ,重要な点は,ラグジュアリーが日本語の贅沢と同じように,必要不可欠ではないという否定的・マイナスの語感だけでなく,人々がそれを楽しむという肯定的・プラスの語感も持っていることだ。今日,若い世代ほど,贅沢の代わりにラグジュアリーという英語をそのまま使う傾向もある。贅沢という用語では,ラグジュアリーが持つ「楽しむ」という意味部分を十分に伝えられないと考えているのかもしれない。
贅沢の両義性は贅沢についての人間の全歴史を要約している。贅沢についての日本語と英語の語義的な差異は,英語を使う欧米圏がその経済発展を通じて贅沢についての文明を,いち早く進化させたからである(ブローデル,1995–6)。経済成長をへて日本もこの文明に追いついたから,近年では贅沢はラグジュアリーと同じ意味を共有するようになっている。現代のマーケターはこのような用法の変化に敏感であり,贅沢の「楽しむ」側面を強調し始めている。
その証拠に現代では,贅沢という用語を含むブランド名や広告メッセージがとくに食品を中心に氾濫している。ブランド名の例を挙げると,絹の贅沢,贅沢日和といったビール・ブランド,余韻の贅沢,贅沢微糖といったコーヒーブランド,贅沢冷茶,贅沢青汁,贅沢果汁,贅沢プレミアミルクである。またサービス領域では贅沢な旅など枚挙に暇が無い。そこでは,贅沢による生活上の快楽,いわば生活美学の追究というメッセージが込められている。広告メッセージは贅沢とラグジュアリーの意味同化を推進している。
贅沢が道徳的呪縛から解放され,ラグジュアリーと同じ意味を持つにしても,その辞書的定義だけでは,贅沢欲求や贅沢市場についての研究を進めることはできない。とくに流通・マーケティングの観点から贅沢研究を行うには,実証研究で使える贅沢の理論概念を構築する必要がある。これについての先行研究の特徴は,贅沢を贅沢品や贅沢ブランドなど,特定の属性を持つモノに即して捉えようとする点にある。その結果,贅沢とは贅沢品を消費することになる。特定属性を備える程度によって,贅沢品は名義尺度や序数尺度で測定される概念変数になるけれども,もっぱらモノ(贅沢品)に即して捉える点で贅沢そのものは固定的に概念化されている。
しかし,この指向は種々な困難に直面する。最大の問題は贅沢品が明確に確定できず,そのため贅沢が理論的にとらえどころのない対象としてたち現れる点にある。贅沢品と贅沢品ブランドの先行研究についてもっとも包括的な展望(Heine, 2011)によれば,「この20年間,贅沢品と贅沢ブランドの定義について,いかなるコンセンサスもないというのが経営文献でのコンセンサスである」という。人や製品・ブランドを贅沢であるかどうかに区分できるような贅沢の理論概念を構築することは難しいという指摘もある(Kapferer & Bastien, 2009)。これが贅沢研究の進展を阻害している。
贅沢を一つの概念変数として構築しようとすることがなぜ難しいのか。それを概念構築の標準手法(Goertz, 2006)の観点から見てみよう。標準手法の特徴は概念を概念変数として設定しようとする点にある。その作業は3段階に分かれる。基本概念,次元,そして指標という3つのレベルである。理論概念の構築はとくに第1と第2の水準に関わっている。
3.1 基本概念レベルでの困難基本概念は,「所得が上がると,人はより贅沢をする」といった理論命題で使用するレベルである。基本レベルでの概念構築の基本ルールは概念の変数化である。この狙いはヒトやモノなど種々な事例における贅沢の程度を捉えることである。変数化すれば,贅沢度によって人を分けたり,製品を分けたりできる。つまり,各事例や標本における贅沢度を概念的に把握できる。
概念変数化は,その基礎になんらかの連続体を想定する。贅沢の場合には,贅沢を正値とし,その対極となる負値を設定しなければならない。この両者を結ぶものが連続体である。製品や人など,贅沢研究対象の贅沢度(変数)はこの連続体上の位置の違いで示されることになる。贅沢を概念変数化するさいの重要な問題は,贅沢の対極,つまり負値として何を設定すればよいかである。
一般的には,負値は正値の反義語が選ばれる。贅沢の場合,その反義語が質素である(シャイ,1987;中野,1992;Segal, 1999)とすれば,これによって贅沢-質素連続体が贅沢変数化の基礎になる。しかし,贅沢についての従来の議論では,このような贅沢-質素連続体による変数化を行わない。贅沢は,質素ではなく,つねに必需との関連で議論されてきたからである(Thompson, 1987)。この場合,必需とはそれがなければ困窮することである。贅沢はこの必需を超える何かであるという観点から定義される。この点については,経済学をはじめとして多様な研究分野間での共通理解がある(Heine, 2011)。この理解の根底には,贅沢-質素ではなく贅沢-必需という連続体がある。
しかし,この贅沢-必需連続体は,贅沢を基本概念レベルで変数化するには不完全な連続体である。基本概念の基礎にある連続体では,その両極は相互背反的でなければならない。つまり,贅沢であるとともに同時に必需であってはならない。ところが,現実の商品世界には,贅沢品であるとともに必需であるような製品が多く存在している。たとえば,車,パソコン,クーラー,ファッション衣服といった製品カテゴリーでは,贅沢品とも必需品とも判断のつかない製品が多くある。
これは必需が贅沢の反義語ではなく,そのため相互背反的ではないことから生じている。贅沢-必需連続体は贅沢概念を変数化する際の1次元尺度ではない。贅沢と必需はむしろ異なる次元である。贅沢-必需連続体上の各位置を相互背反的にするには,どちらかの次元を選ぶ必要がある。必需性を選ぶとすれば,それにもとづく連続体の両極は必需性が高いか低いかである。贅沢を必需との相対関係で考え,贅沢が必需を超える何物かであるというさい,その根底には製品の必需性という尺度がある。その両極は必需性が高いか低いかである。必需性がある閾値を超えて低くなると,贅沢品が登場する。
この尺度の問題は,必需性の低い製品のすべてが贅沢品とは限らないことである。いわゆる小物雑貨には必需性の低い製品が多くある。しかしそれらの多くは贅沢品と見なす人は少ないであろう。さらに,特定製品の必需性は通時的にも共時的にも変動する。わが国の高度経済成長の初期ではテレビ,電気洗濯機,電気冷蔵庫は贅沢品と見なされ大衆消費者のあこがれの的であった。しかし,現在では必需品となった。また国が変われば,その風土,所得水準,文化などにより必需品の内容も変動する。標準的手法による贅沢概念の構築は,概念変数化の基礎となる連続体の設定で破綻することになる。
3.2 属性次元レベルでの困難概念構築の第2レベルは次元である。次元とは贅沢品が持つ属性のことである。先行研究は,これを消費者の態度・知覚(Dubois, 1994, 2001),動機・顧客価値(Hennigs, 2012)といった観点から捉えようとしている。いずれの側面から見るにせよ,先行研究の焦点は贅沢品の属性にある。贅沢-質素,贅沢-必需のいずれの連続体を使うにせよ,正値は贅沢という状態である。贅沢の属性識別にさいして,先行贅沢研究の特徴は,基本概念の基礎にある連続体の正値にのみ注目する点にある。
先行研究の多くは贅沢品を多属性的に捉える。類似した表現を縮約すれば,その代表的な属性は以下のようなものである(Heine, 2011; Kapferer, 2009)。
・高価:大きい価格プレミアム,高額,費用がかかる,いった表現がこれに入る。
・卓越品質:これにまとめられる表現には,先端技術,職人の匠技,工芸技術,複雑な製造工程,原材料・部品の品質,機能美,使用感,デザイン・スタイルの視覚効果・美的効果・審美性,そして顧客の希望を取り入れるといった個客対応サービスなどがある。
・審美性:審美性は視覚,嗅覚,触覚,趣味など人間の感覚を喜ばせる源泉である。それはとくに上流階級の趣味を表している。この特性を作り出す源は製品の審美的なデザインである。
・希少性:誰も持っていない,普及が限定,小規模生産,個人注文生産,いった表現がこれに入る。
・シンボル性:シンボル性は製品の機能的な特徴を超える抽象的な連想である。たとえば,エルメスのケリーバッグは上流,気高さ,富裕などのプレスティッジを連想させる。贅沢品はそのデザインやその製品情報に基づき,プレスティッジを中心とした連想を呼び起こす。
これらの次元(属性)の各々もそれ自体に多くの側面を持っている。贅沢品はこのように多くの次元(属性)を持つという点で多元的であるだけでなく,各属性もさらに多元的な要素から構成されている。この多様性は贅沢品の属性を詳細に見ていけば見ていくほど,樹形のように次々に枝分かれして拡がっていく。たとえば卓越品質一つを取ってみても,それを構成する次元をさらに考えることができる。しかし,概念を複雑にしないために,先行研究ではさらに次元を掘り下げていくことは行われない。
贅沢概念の理論的曖昧性は次元レベルからも生じている。この曖昧性の源泉は,属性次元の抽出が贅沢-必需連続体に基づいているかどうか不明確であることにある。次元抽出は贅沢という状態にのみ焦点を合わせて抽出される。たしかに贅沢は贅沢-必需連続体の正値である。それはまた贅沢-質素連続体の正値でもある。贅沢-必需連続体に基づいているのであれば,必要性のある閾値を超えるという贅沢品の決定的属性を考慮しているはずである。
しかし,次元レベルでの次元抽出ではこの点はまったく考慮されない。抽出された属性から判断すると,贅沢-必需連続体よりもむしろ贅沢-質素連続体が属性抽出の基礎になっているようにも見える。整合的な理論概念を構築するには,理論概念の構築では次元レベルでの属性抽出はその基本概念レベルで設定された連続体に基づかねばならない。ほとんどの実証研究での贅沢品属性からはこの点はまったく窺えない。
それだけではない。贅沢概念の曖昧さは多属性の存在そのものからも生じている。その原因は,これらの属性と基本レベルでの贅沢品との関係が不明確であることから生じている。これらの属性を定性的な属性と見なせば,基本レベルでの贅沢品の必要条件なのか,あるいはそれとも十分条件なのか,これが不明確である。
必要条件であれば,あらゆる贅沢品はそのような属性を共有している。たとえば,高価格が必要条件ならば,あらゆる贅沢品は高価格である。また特定の属性が十分条件であれば,その属性だけでその製品は贅沢品になる。たとえば,卓越品質が十分条件であれば,この属性を持つだけで,その製品は贅沢品になる。贅沢品の次元が上記のように5つあるとすれば,贅沢品の必要・十分条件の構造は複雑になる可能性がある。
贅沢品の概念構成で属性との必要十分条件を議論している例は先行研究の中に見られない。しかし,概念構築の標準的手法によるかぎり,この必要・十分条件にどのような想定を,暗示的であるにせよ,おいているかは明らかである。標準的手法による概念構築では,贅沢が持つ共通の特質やその根拠を考察して,贅沢品それ自体が何であるかを問おうとしている。したがって,この手法による贅沢品概念の目標は,何よりもまずすべての贅沢品に共通する属性を明らかにすることである。
この点から見れば,上記の5つの贅沢品属性(次元)は贅沢品の必要条件として概念化されていると言えよう。また贅沢品の十分条件を明示しないとすれば,暗黙のうちに,5つの贅沢品属性をすべて備えることが贅沢品の十分条件だということになる。しかし,現実の商品世界との対応を迫られるとき,その属性のすべてが必要条件で有り,それらを合わせて十分条件になるという暗黙の想定は大きい壁にぶつかる。いくつかの事例を挙げてみよう。
トヨタのレクサスは高価格,卓越品質,審美性を持ち,少なくとも日本ではその所有者の富をシンボル化している。しかし,それを購買したいと思う人にとってはいつでも手に入るため,希少性という属性を持っていない。ユニクロの急成長を支えたヒートテックなどの肌着は,卓越品質を持っていた。しかし,ほとんどの消費者はこの製品を贅沢品と見なさないだろう。
贅沢品かどうかを複数の属性にもとづき判断しようとするさい,このような事例が多く現れる理由は何か。それは製品によって贅沢品属性の保有数が異なるからである。高級ブランドのように,贅沢品特性のすべてを持つ場合もあれば,レクサスやユニクロ肌着のように,贅沢品属性の一部を持つ場合がある。贅沢品属性をいくつ持つかは,商品世界では広く分散している。この種の問題に対応するため,標準手法ではウィットゲンシュタイン(2010)のいう家族類似性を使うこともある(Goertz, 2006)。しかしこれを援用しても贅沢品の理論概念は依然として曖昧である。
たとえば,高価,卓越品質,審美性,希少性,シンボル性の5つを贅沢属性と見なすならば,特定の製品ペアがこれらの属性を共有するパターンは,全部で31(5個の属性から1~5の属性を取り出してできる組み合わせの数はそれぞれ,5C5=1,5C4=5,5C3=10,5C2=10,5C1=5)である。贅沢品として言及される製品は,これらの多様な属性共有パターンで連鎖するネットワークを形成している。それは多様に程度の異なる類似性で連結されているネットワークである。ネットワークの各点(製品)は相互に何らかの点で類似しているという意味でいわば一つの家族を構成している。家族類似性とはこのネットワークにおける類似性である。
贅沢品属性を1つも持たない製品を非贅沢品とよび,1つ以上持つ製品を贅沢品と呼ぶにしても,家族類似性でくくられる贅沢品世界は複雑である。その中心部には贅沢品属性を多く持つ製品から構成されている。しかし保有する贅沢品属性が少なくなるにつれて,多様な保有パターンが現れる。また,贅沢品属性の保有数が少ない贅沢品になると,贅沢品属性を持たないという点で,非贅沢品との類似性をますます強めていく。贅沢品属性が1つしかない贅沢品は,贅沢品属性をまったく持たない非贅沢品ときわめて類似している。非贅沢品が贅沢品属性をまったく持たない製品であるとすると,5つの贅沢品属性のうちの4つについて非保有という点でその贅沢品は非贅沢品と同じになるからである。
家族類似性を援用するさい,標準手法はm/nアプローチを採用する。n個の贅沢品属性がある場合に,m個の属性を持っていれば贅沢品とするというアプローチである。たとえば,5個の贅沢品属性のうちで3個保有すれば贅沢品にするのである。しかし,基準となるn個はまったく恣意的である。それは贅沢品属性にはまったく依存していない。さらに,nを構成する属性の組み合わせによって,存在論的にはまったく異なるものを意味することになる。たとえば,nを3個とすれば,5の属性から3個の属性を選ぶ場合の組み合わせパターンは10個ある。5つの属性は相互に異質であるから,それぞれの組み合わせの存在論的意味は異なっている。贅沢品の定義に関するかぎり,m/nアプローチは標準的アプローチの中で理論的には宙づりになっている。
3.3 実証レベルでの困難標準的手法による概念構築の第3レベルは指標である。各属性の有無あるいは程度を確認するために,各属性の指標をつくる必要がある。定量指標を得ようとすれば,贅沢品と言えるには価格はいくらでなければならないか,希少性があると言えるにはその普及度はどの程度かといった指標が必要になろう。しかし,審美性やシンボル性などは定量的指標を得ることは難しい。だから卓越品質,審美性,シンボル性などを記述した意見文への反応を,リッカート尺度などで収集する。あるいはフォーカス・グループへの深層面接により得られた発言テキストのなかに特定属性に関連した部分があるかどうかの2分判断などで測定される。これらはすでに消費者行動研究で蓄積されてきた手法である。
これらの方法にもとづいて,消費者のイメージ,知覚,態度,消費価値にもとづく贅沢の実証研究が近年に急速に増えている(Dubois, 1994, 2001; Hennigs, 2012; Mira, 2014; Tidwell, 1996など)。そのもっとも重要な特質は国際比較調査である。これは贅沢消費が国際的なモバイル消費を多く含んでいるということを念頭に置いたマーケターの関心を反映している。個人用贅沢品の各国小売販売額を例に取れば,外国人旅行者の占める比率は欧州で約52%,米国で約33%,日本で約24%にのぼる(D’Arpizio, 2015)。
このような実証研究の発見物も,贅沢概念が曖昧であるという認識に大いに貢献した。発見物から窺える贅沢品の属性があまりにも拡散していたからである。この結果は先行文献での贅沢属性ではなく,贅沢についての回答者自体の表現を使って開拓的な内容分析を行っても同じであった(Godey, 2013)。何を贅沢と考えるか,その属性はきわめて多様であり,贅沢をその属性にもとづきカテゴリーとして設定できなかったのである。
贅沢の多様性は贅沢属性が多様な要因によって変動することから生じている(Dryl, 2014; Mehta, 2014; Urkmez, 2015)。それには地域,経済,文化,情況,時間といった要因がある。地域が異なれば,特定贅沢品へのアクセスが異なり,これによって希少性が地域によって異なる。所得水準によっても贅沢の内容は変わる。貧者の贅沢の多くは富裕層には贅沢ではない。文化はどのような食物が贅沢であるかに大きく影響する。同じものでも情況によってその贅沢度は変わる。毎日キャビアを食べ続けるとその贅沢度は日々下がっていく。何が贅沢品かは時代によって変わる。過去の贅沢は今日の贅沢ではないことが多い。
贅沢という言葉はこれらの要因によって特徴づけられる社会の各領域で,言語ゲーム(ウィットゲンシュタイン,1976)の対象になっている。贅沢の意味は人がそれを話すという活動の中で立ち現れてくる。そしてこの活動は人の生活様式の一部を構成している。贅沢の意味はそれについての人々の言語活動での慣用の中に現れる。人々はこの慣用の過程で言葉の意味を学び取る。上述の要因は贅沢という言葉の慣用に大きく影響する。
流通・マーケティング研究で贅沢欲求や贅沢市場を対象とする場合に,贅沢をもっぱら贅沢品の観点から固定的に捉え,贅沢品を一つの概念変数として捉えようとすると,各社会での贅沢言語ゲームが生み出す概念使用の多様性によって研究が行き詰まる。この概念にもとづき実証研究を行っても知識は累積しない。何が贅沢であるかの属性は,青空に浮かぶ雲のように多様な形を取って漂流し,絶えず変化しているからである。贅沢概念のこの多様性問題をいかに克服することができるだろうか。
まず立ち戻るべきは研究課題である。流通・マーケティングの視点から見ると,贅沢研究の関心は,贅沢属性そのものを理論的にまず確定することではない。むしろ社会の中でどのような属性が贅沢として,どのような人々の欲求として立ち現れてくるかということである。贅沢が多様なかたちを取りながらどのように変化していくか,その根底にある過程知識の蓄積である。気象学が雲の多様な形状変化そのものを追うに先立ち,その生成メカニズムを注視するのと同じである。贅沢に関わる市場機会やブランドの開発には,この種の知識が何よりも求められよう。
この知識創造には贅沢を,贅沢品に即して一つの概念変数として捉える代わりに,理論概念としての出来事(田村,2006,2016)によって捉える必要があるのではないだろうか。贅沢は購買・使用・所有を含む消費行動によって生じる出来事とみなすのである。この消費行動には,主体があり,行為相手があり,目的があり,行為対象があり,場所があり,遂行される時間がある。これらのうちで贅沢概念の構築にとくに必要なのは,贅沢に関連して言及される主体,行為相手,行為目的,そして行為対象である。贅沢がたんに生活美学の個人的追究であれば行為相手は重要ではない。しかし,贅沢消費の重要な特徴はその消費の社会的側面にある。この側面の分析には行為相手が重要になる。
贅沢消費の社会的側面も視野に入れて贅沢を定義すれば,ある社会成層の成員(主体)が,他の階層成員(行為相手)に対する差異伝達(行為目的)のために,特定属性を持つ製品(行為対象)を消費することにより生じる出来事である。これらの出来事要素のそれぞれについてカテゴリー設定を行えば,各要素は名目尺度あるいは序数尺度などにより測定される概念変数になる。しかし,贅沢そのものは概念変数ではない。それは変数としての出来事要素の組み合わせそのものである。
出来事は要素変数を並べたベクトルである。贅沢を一つの概念変数で捉える代わりに,ベクトルで把握する点に出来事アプローチの特徴がある。贅沢を一つの概念変数で捉えようとするさい,その次元レベルでの多属性は指数化などによって基本レベルでの贅沢度へ統合することを予定しているのに対して,出来事アプローチでの要素は一つに統合されることはない。要素変数の組み合わせそれ自体によってしか,贅沢を記述できないと考えるからである。
国家などへの人間社会の組織化は何らかのかたちの階層序列化を生む。かってはこの階層序列化は貴族,平民,奴隷など固定的身分や,資本家,労働者といった富の所有関係にもとづく階級社会を生み出した。贅沢について語る文学,歴史,哲学,倫理学を一瞥すれば明らかなように,古来,贅沢は特権階級の優越性を生活面で示すシンボルであった。それが犯されそうになると,贅沢禁止法などの法的拘束が加えられた。
その後,社会の民主化が進み,法的権利の平等化が進むと,階級社会は次第に消滅して,多元的な流動的な成層社会に移行した。現在での社会成層は資産,職業,教養・学歴,人脈など経済,文化,関係性など多元的な社会資源要因によって分けられている。その中で社会的地位などによる成層序列化は構造として依然として存在している。しかしその中で個人の位置は,個人資質に応じてきわめて流動的になった。この実力社会ダイナミクスの中で,より高い成層への上昇志向は依然として多くの人を動かす基本欲求である。贅沢はこの欲求に強く関連している。出来事アプローチはこの点に焦点を合わせている。
贅沢は社会成層での人々のポジショニング・マーカーとして機能している。どのような社会成層次元がマーカー対象になるのか。資産や職業など経済資源か,趣味など文化資源か,あるいは年齢層や性差といった次元か。それはそれぞれの社会のダイナミクスにより共時的にも通時的にも多様に変わる。贅沢消費は一種の伝達であり,ある成層から他の成層に伝えられる。たとえば成層上位者はその優越性を他者に伝達し,下位者は上位者や同位者に向かってその志望成層を伝達しようとする。贅沢主体の分析の焦点は,どの成層の者が他のいかなる成層に向かって,現実のあるいは志望上の社会成層を贅沢によって伝達しようとしているかである。
この伝達で贅沢品はその媒体であり,贅沢品の属性がメッセージになる。伝達媒体は送信者と受信者の媒介項である。その多くは言語,映像を伝える通信機器であるが,モノそれ自体がボディランゲージのように一種の視覚言語として働く場合がある。その装いがシャネルづくしの女性を見ると,その装い自体が特定メッセージの媒体になっている。贅沢品がどのようなメッセージを伝えるかはその属性に依存している。たとえば高価という属性は経済的優越性をつたえ,審美性といった属性はその人の文化・趣味など審美的(美学的)優越性を伝えるだろう。さらに希少性という属性は人脈など関係性資源の優越性に関わるかもしれない。
どのような製品カテゴリーにどのような贅沢品が登場するか。リーチやフリクエンシー,あるいはインパクトなど,媒体としての贅沢品のメッセージ伝達効率が大きく影響するだろう。衣服をはじめ個人用贅沢品が長きにわたって贅沢品の主要カテゴリーであったのはこの媒体効率による。この贅沢は豪邸などと異なり,その人の行動するところについて回るから伝達効率は高い。この点で自動車も現代の主要な贅沢カテゴリーになっている。高級住宅街周辺のスーパー駐車場にならぶ車種を見れば,その商圏の富裕度は一目瞭然である。
贅沢市場についての流通・マーケティング研究の関心は,贅沢市場に現れる消費者の特性は何か,どのような製品カテゴリーや製品属性がどのような社会成層のポジショニング・マーカーとして使われているのか,その伝達効率はどうか,そしてこれらは共時的,通時的にどのように変動するかである。先行研究から導出した贅沢概念やその属性にもとづく一般的な消費者調査だけではこのような知識は蓄積できない。贅沢カテゴリーや贅沢ブランドの属性は研究の出発点ではなく,むしろ研究結果である。どのような属性がなぜ贅沢を構成するのか。その解明は固定的な贅沢品コンセプトを出発点とするのではなく,実力社会ダイナミクスを背景にした贅沢への出来事アプローチを分析視角としなければならない。