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査読論文
商業とマーケティングの対立に関する再検討―情報化が小売業に与える影響―
高嶋 克義
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2022 年 6 巻 1 号 p. 1-7

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Abstract

商業とマーケティングの対立とは,商業とマーケティングの基本的性格における対立を意味し,それに基づいて製造企業による商業の制限としてのチャネル管理の目的が説明されてきた。ただし,商業とマーケティングの基本的性格が対立的に交錯することで生じる流通の課題は,小売企業も競合企業に対する差別化を行うことを考えると,チャネル管理のみならず,小売市場競争や小売企業戦略の意思決定においても確認することができる。本稿では,商業とマーケティングの対立が小売市場競争や小売企業戦略にどのように現れるかを示したうえで,情報化のもとでの小売企業行動の特徴が商業とマーケティングの基本的性格によって,いかに規定されるかを概念的に説明するものである。

1  はじめに

わが国のチャネル論の展開では,商業とマーケティングの対立が強調されている(風呂,1968石原,1982高嶋,1994加藤,2006)。すなわち,商業で形成される社会的品揃えが商品流通の効率性をもたらす一方で,商業に対立するものとしてマーケティングが位置付けられ,製造企業がチャネルを管理する動機が説明されている(風呂,1968)。このような商業とマーケティングの対立に基づくチャネル管理の理解は,チャネルにおけるパワー関係を考える前提となったり,取引費用の視点からの関係特定的資産と関連付けられたりして,社会的品揃えを必ずしも強調していない海外のチャネル研究へと繋がることになる。ただし,小売企業へのパワーシフトで製造企業によるチャネル管理が後退することに伴い,商業とマーケティングの対立への言及も少なくなっている。

しかし,商業とマーケティングの対立という概念は,製造企業によるチャネル管理のみを説明するものではなく,商業の社会的性格とマーケティングの個別的性格を対比的に捉えることで商業とマーケティングの行動様式を明確にし,それらの基本的性格が交錯することで発生する流通現象の課題を解明するという意味を持つと考えることができる。

そこで本稿では,商業とマーケティングの基本的性格に再注目し,その対立的な交錯がもたらす小売企業の行動に関する諸現象を考察しようとするものである。そして,商業とマーケティングの対立が小売市場競争や小売企業戦略にどのように現れるかを示したうえで,小売業における情報化のもとでの小売企業行動の特徴が商業とマーケティングの基本的性格によって,いかに規定されるかを明らかにしたい。

2  商業とマーケティングの対立

2.1  商業の社会的性格

製造企業から独立した流通企業は,多数の売手から多様な商品を購入して品揃えを形成することで,多数の買手を吸引し,商品を効率的に販売することができるが,品揃えを形成するためには,製造企業の統制から離脱する必要がある(風呂,1968森下,1977)。この意味において,商品が「商人の手許で社会化」(風呂,1968,p. 96)することから,商業の社会的性格が捉えられている。

そして,商業の社会的性格に基づいて多数の売手・買手の取引を効率的に媒介するためには,売手や買手が市場競争を行いつつ,より望ましい取引相手を選択することが必要となる。すなわち,市場の条件で言えば,売手・買手が多数存在し,売手と買手にとっての参入障壁や退出障壁が低く,経済的な判断基準に基づく費用合理的な意思決定が行われるという条件があるとき,売手と買手が競争しながら取引相手を選択することを通じて,商品流通の効率性が達成されることになる。

さらに,このような市場競争が十分に行われる状況では,取引相手の機会主義的な行為による問題が小さく,取引費用によって最適な意思決定が妨げられないと言える(Williamson, 1975)。品揃えによって吸引される売手と買手の間の取引というのは,完結的で単純な取引が想定されており,商品の品質が明示的で,売買契約が短期に完結するために不完備契約になりにくいことから,機会主義的な行為による弊害が発生しにくい。また,参入や退出の障壁が低いことは,関係特定的な投資が少なく,売手や買手が特定の取引関係にロックインされることによるホールドアップ問題(Klein, Crawford, & Alchian, 1978)が起きにくいことを意味している。これらのことは,上記のような商品流通の効率性を追求する条件となるのみならず,後述するマーケティングとの対比において重要な特徴になる。

2.2  マーケティングとチャネル管理

商業では品揃えを形成することで商品流通の効率性を達成することができるが,売手としての製造企業は,商品流通の効率性だけを求めるのではなく,競合企業との差別化競争を展開しており,製品差別化を通じて価格競争の影響を回避しつつ市場シェアを拡大することが重要になる。すると,品揃えの中で他の商品と並置され,販促・サービス活動の内容も流通企業が決定することになれば,製造企業が求める製品差別化にとっての大きな制約となる。そこで,製造企業は商業の社会的性格から脱却して,流通企業による差別的な商品の取扱いを求めるようになる(風呂,1968高嶋,1994)。

ここでもし製造企業が流通チャネルを垂直統合すれば,直接流通の排他的な品揃えとなり,買手を惹き付けることが難しく,販売力は限られたものになる。この限界を克服するために,チャネルによる差別化を追求する製造企業は,流通企業の独立性に基づく品揃えの形成をある程度許容したうえで,小売企業の仕入・販売活動を管理するという「現実的で高等な打開策」(風呂,1968,p. 143)としてのチャネル管理を行うことになる。

このようにチャネル管理が商業の社会的性格を否定することは,商業経済論に基づく考え方であるが,その後の国内外におけるチャネル研究との関連付けを考えるとき,次のようなWilliamson(1975)による取引費用概念に依拠した説明に置き換えて理解することが有用となる。

まず,製造企業がチャネルによる差別化を追求するとき,製造企業は差別化戦略に沿った活動を流通企業に対して求めることになるが,このような活動を引き出す契約は,完結的で単純な商品の取引とは違って不完備契約となりやすく,取引費用が高くなりやすい。しかも,チャネル管理では関係特定的資産としての販売・サービス活動のための設備・資材への投資や知識の取得・蓄積を流通企業に対して要求することになるが,関係特定的資産は他の取引関係に転用しにくいことから,流通企業は埋没原価を考慮して,取引関係にロックインされることになる。しかし,そのようなロックインされた取引では機会主義的な行為が発生しやすく,とくに流通企業は製造企業による機会主義的な駆引きを懸念するために,関係特定的資産への投資を控えるというホールドアップ問題が生まれることになる(Klein et al., 1978加藤,2006)。そこで,製造企業は,パワー関係と協調的関係を併せ持つ中間組織としての流通系列化を行い,これらの取引費用問題を解決し,流通企業におけるチャネル差別化への協力を高めようとするのである。

そして,このような流通系列化では,流通段階を内部組織のように安定的に管理するものであるが,管理される流通企業は,特定の製造企業とのチャネル関係が形成され,取引相手を柔軟に変更できないことになる。その状態は,競争を通じて商品流通の効率性を追求することを基本とする商業による商品流通とは異質な流通であり,開放性や柔軟性を欠くチャネル関係であるために,商業による商品流通の効率性は制約されることになる。これが商業とマーケティングの対立という理解になる。

なお,製造企業が製品差別化を目指してマーケティング活動を展開する場合であっても,商業の制限を行うのは,チャネルによる差別化のケースに限られる。他方で,チャネルによる差別化を伴わない新製品開発や広告による差別化の場合には,商業における品揃えの中にナショナルブランドが組み入れられ,流通段階における市場競争や費用合理性の影響を受けることを前提としながら,製造企業間の差別化競争が展開されることになる。この場合には,マーケティングは商業を前提とするものではあっても,排除するものではない。つまり,商業とマーケティングの対立を考えるときの「マーケティング」とは,マーケティング活動全般ではなく,流通の組織化を伴うマーケティング活動を想定している。

さて,商業は社会全体の流通費用を削減するが,その費用削減は個々の企業が市場競争下で費用合理的に行動し,その削減に注力することによって達成される。そして,大規模小売企業は,この市場競争において有利な地位にあり,流通系列化による差別化の有効性が低下した背景の一つは,小売市場における大規模小売企業のコスト優位性が流通系列化による差別的優位性を凌駕することにある。すなわち,商業においては競争を通じて流通の効率性が追求されるが,その状況下で大規模小売企業が規模の経済性に基づくコスト優位性の競争的地位を確保するならば,彼らの低コスト化を基礎とする価格競争の展開によって,小売市場における需要の価格弾力性が高まることで,系列店を非代替的に選好する消費者が減少するとともに,製造企業の系列店に対するパワー資源が弱まることになる。このことを商業とマーケティングの対立から見れば,マーケティングによる商業の制限を狙うチャネル管理が,今度は商業によって制約されると解釈される。

2.3  流通モードによる理解

商業とマーケティングの対立における「対立」とは,流通企業と製造企業の対立関係を表すものではなく,商業における流通企業が集合体として行う行動とマーケティングにおける製造企業が流通を組織化する行動とを対比的に捉え,商業による費用節約の効果と流通の組織化による差別化の効果が相殺的に作用することを説明するものである。

このような商品流通における商業とマーケティングの行動レベルでの対比は,田村(2001)に基づけば,流通モードとしての商業モードとマーケティングモードという概念によって説明される。すなわち,商業モードは,品揃え形成に基づく社会的な流通費用節約をもたらす競争的で費用合理的な企業の行動様式であり,マーケティングモードは,流通段階において差別化を実現するために流通を組織化し,管理する企業の行動様式になる(田村,2001田村,2019)。

田村(20012019)による流通モードという概念は,商業モードとマーケティングモードという2つの流通モードの共存を通して小売業態の多様性や動態を説明するものであるが,本研究では,この流通モード概念を用いて商業とマーケティングの基本的性格に基づく対立現象を捉えようとするものである。そして,この考え方に基づけば,チャネル管理に関わる商業とマーケティングの対立は,流通企業の商業モードと製造企業のマーケティングモードが商品流通の局面で対立関係にあるという理解になる。

さらに,このように商業とマーケティングの対立を流通モード概念で捉え直すことは,議論の展開における2つの利点をもたらすと考えられる。

一つは,マーケティングモードが製造企業だけの行動様式ではないということである。製造企業のチャネル管理を考えるうえでは,マーケティング活動を行うのは製造企業と想定されるが,商品流通における商業とマーケティングの対比的な交錯現象を捉えるならば,製造企業によるマーケティングだけに問題を限定する必要はない。むしろ,流通企業も他の流通企業との間で差別化競争を展開しており,その差別化のために商品の調達先に関する後方の組織化を行っていることに基づいて,後述するような現代における小売業の課題を捉えることができる。

もう一つは,商業モードとマーケティングモードはその特徴が対比的に捉えられるが,必ずしも排他的関係を想定していないことである。田村(2019)ではハイブリッドモードとして企業内で2つの流通モードを共存させる様式が示されているが,これは流通企業のマーケティングモードを想定することから派生するものである。すなわち,流通企業が商業モードに基づく流通効率化を基本的に目指しながらも,差別化目的で後方の組織化を行うマーケティングモードを組み入れることが可能であり,実際に,品揃えの中に高付加価値型PBを導入することがよく行われている。そこでは企業の戦略的な意思決定において2つの流通モードを並存させることになるが,それはトレードオフを含んだ意思決定課題として,企業間ではなく企業内での対立問題になると理解される。

以上のように商業モードとマーケティングモードという視点から商業とマーケティングの対立を理解することにより,流通段階における商業とマーケティングの基本的性格に関わる対比的な交錯から,製造企業によるチャネル管理の問題を超えて,流通の諸現象を説明することができる。言い換えれば,商品流通における商業とマーケティングの対立で提起された商業とマーケティングの基本的性格とその対立がもたらす影響の議論をチャネル論だけでなく,小売市場競争の課題にも適用することが期待される。そこで以下では,この視点から小売市場競争を巡る現代的な課題を考察してみたい。

3  小売業における商業とマーケティングの対立

3.1  商業モードでの小売企業間競争とデジタル技術の影響

商業の社会的性格に基づくならば,小売企業は,競争のもとで費用合理的に品揃えを形成するが,そこで形成される多数の売手・買手との取引のネットワークの経済的な効果は,とくに大規模小売企業のコスト優位性を形成する条件となる。そして,商品流通へのデジタル技術の導入は商品流通の効率化を促進することから,商業モードの大規模小売企業はデジタル技術の導入によるコスト優位性を積極的に追求するようになると推論される。具体的には,商品の調達局面における物流情報化や販売局面におけるEC(電子商取引)への展開や販促・決済の情報化などである。これらのうちでとくにECは,取引プラットフォームに基づくネットワークの経済性をより強くもたらす活動として重視されている(Cusumano, Gawer, & Yoffie, 2019)。

ここでデジタル技術の導入は,大規模小売企業における商業モードの競争行動に2つの影響をもたらすと予想される。一つは,事業規模拡大への志向を強化することである。とくにECは実店舗では制約となる店舗の商圏や立地の問題が小さいため,配送と決済のシステムを展開できる広い地理的範囲での潜在顧客との取引ネットワークを展開できる。しかも,情報化への投資額が大きくなるために,規模の経済性の追求がより強く動機付けられている。それゆえ,小売市場でECが競争優位を形成するには,競合企業よりも事業規模を拡大させて規模の経済性を追求することが重要になってくる。

もう一つの影響は,商品流通の効率性を競争的に追求するうえで,汎用的なデジタル技術が採用されやすく,とくに大規模な店舗小売企業やEC企業において技術的な同質化が進展することが予想される。それは,汎用的な技術であれば,より多くの売手・買手が対応しやすく,効果的に多数の売手・買手を吸引することができるからであり,競って汎用的な技術革新を採用することから,革新的な技術も速やかに普及して,技術的な同質化が進展しやすい。そして,小売販売局面での汎用的なデジタル技術が普及すれば,そのデジタル技術を利用した小売サービスの同質化が促されることになり,小売市場での価格競争の激化をもたらすと予想される。

そのような価格競争で優位に立つのは,オープンイノベーション(Chesbrough, 2003Chesbrough, 2012West & Bogers, 2014)に基づいて,デジタルの技術革新をいち早く導入して,大規模に展開した企業になる。こうしてデジタル技術の普及は,大規模なEC企業や店舗小売企業の間における商業モードでのコスト優位性を巡る激しい価格競争を発生させることになると予想される。

3.2  店舗小売企業におけるマーケティングモードの展開

これまで説明したように,小売業でのデジタル技術の導入は,商業モードの小売企業間における価格競争を促すことになりやすい。とくにデジタル技術に大きく依存する大規模EC企業は,競合企業と同質的な小売サービスにおけるコスト優位性を目指して,低価格戦略と事業の大規模化のための投資を行う傾向がある。

それに対して,店舗小売企業は,このような大規模EC企業の競争的脅威に直面することになる。もともと店舗小売企業は,商業モードを基本としながらも,店舗立地や販売員のサービスによる差別化を行い,これらの差別化で価格競争をある程度まで回避することができる。ところが,ECが成長し,商圏や立地による制約が少ない大規模EC企業によるコスト優位性の追求によって,小売市場における需要の価格弾力性が高くなって実店舗小売業の差別化の有効性が低下したり,EC企業の事業規模拡大に基づく配送の効率化で,ECでの買物費用が実店舗での買物費用に対して有利になったりすることが起きやすい。しかも,販売員のサービスについては,EC企業によるフリーライドが発生すれば,販売員サービスによる差別化の有効性がECによって損なわれる可能性もある。

そのような競争条件のもと,店舗小売企業がECでも扱われる商品を使って品揃えを形成することでは,大規模EC企業のコスト優位性に競争的に対抗するうえで限界がある。たとえ店舗小売企業が,EC以外の活動領域にデジタル技術を導入したとしても,コスト優位性の追求においては,商圏や立地による制約が少ないECのほうが事業拡大を進めやすいからである。しかも,販売や顧客管理においてデジタルデータだけで情報処理を行うECのほうが,人的な情報処理が介在する店舗小売業に比べて,販売局面と仕入局面との間での取引や物流の情報処理を連係させやすく,これらの情報処理技術の効率性をより期待しやすい。

つまり,大規模EC企業がコスト優位性を追求するとき,店舗小売業を行う大規模小売企業が商業モードのままでは競争的地位が不利になりやすい。そこで,大規模小売企業は,自らEC事業にも展開するマルチチャネル戦略を採用することで対応するだけでなく,小売市場における価格競争を回避するために,差別化のためのマーケティングモードを取り入れることを考えるようになる。しかも,小売企業による商品流通でのマーケティングモードの導入は,競合企業に対する排他性を確保するために,後方組織化が必要になる。具体的な活動としては,高付加価値型PBを開発したり,サービス企業と連携して排他的な顧客サービス事業を店舗で提供したりすることである。

このことは前述のチャネル管理と同様に,取引費用の視点から次のように説明される。まず,排他的な商品やサービスを提供させる契約は,商品やサービスの生産・供給に関する長期的で複雑な不完備契約になりやすく,しかも,商品やサービスの提供企業に対して関係特定的資産を求めることになる。このような状況では取引費用の問題が発生して機会主義的な行為が発生しやすく,埋没原価による取引関係へのロックインに基づくホールドアップ問題から,過小投資が発生しやすい。そこで,小売企業は商品やサービスの提供企業に対する後方組織化を行い,協調的で安定的な関係に変えることが必要となるのである。

しかし,この後方組織化は,市場競争に基づいて柔軟に形成される品揃えを制約することになり,競争的に効率化を追求する商業モードとの両立が難しくなる。それは単に排他的な商品やサービスの調達が品揃えの効率化を阻害するだけでなく,商業モードにおける売手の競争的な参入行動が,排他的な商品やサービスの提供企業にとっての市場の不確実性をもたらし,関係特定的資産についての過小投資を発生させることで,小売企業のマーケティングモードによる差別化の効果を引き下げる危険性もある。そのため,小売企業は,商業モードに基づく競争的な品揃え形成による効率化を追求するのか,マーケティングモードに基づく排他的な商品やサービスを販売することによる差別化を求めるのかというトレードオフの中で戦略の意思決定を行うことになる。

したがって,小売企業でのマーケティングモードの採用に関しては,小売企業間での価格競争と差別化を巡る商業とマーケティングの対立的な交錯が捉えられることになる。それは小売業における情報化に伴って商業モードの価格競争が激化することから,店舗小売企業においてマーケティングモードの後方組織化による差別化が動機付けられることに基づいている。そして,このような小売企業間での競争を巡る商業とマーケティングの対立現象は,小売企業内での戦略の意思決定においては,商業とマーケティングの対立的な性格に基づいた,コスト優位性と差別化を巡るトレードオフの資源配分問題となる。

さらに言えば,マーケティングモードとしての後方組織化は,小売企業におけるデジタル技術の導入様式にも影響を与える。後方組織化のためのデジタル技術としては,PBの開発・生産・調達に関する企業間コミュニケーションにおける情報処理や排他的な消費者向けのデジタルサービスの開発・提供において利用されるが,これらのデジタル技術は排他的で,関係特定的資産となりやすいために,取引費用の問題が発生しやすい1)。そこで,小売企業がデジタル技術を使ったマーケティングモードの後方組織化を展開する場合には,その取引費用の問題を回避すべく,デジタル技術の供給業者とも協調的で安定的な関係を構築することが重要になってくる。

したがって,マーケティングモードのもとでのデジタル技術の導入では,開放性や柔軟性を欠く関係となりやすいために,商業モードにおける汎用的なデジタル技術によるオープンイノベーションとは不整合となりやすいことが予想される(Bogers, 2011Saebi & Foss, 2015Barbic, Jolink, Niesten, & Hidalgo, 2021)。それゆえ,マーケティングモードのためのデジタル技術の開発や調達を進めることは,商業モードのもとでの汎用的なデジタル技術の利用による経済効果を損なう可能性が生じることになる。

近年におけるオープンイノベーションの視点(Chesbrough, 2003Chesbrough, 2012West & Bogers, 2014)からは,小売業においても汎用的な技術に基づく柔軟で拡張可能な関係の有効性が提唱されやすいが,上述の議論に基づくならば,小売業におけるデジタル技術の導入は,小売企業の戦略が商業モードかマーケティングモードのいずれを基礎とするかによって影響されることになる。そして,小売企業が差別化目的からマーケティングモードを採用するとき,それに関するデジタル技術に関しては,オープンイノベーションによらずに協調的で安定的な関係に基づく関係特定的資産の調達となると推論される。このことは,小売企業における商業モードかマーケティングモードかという選択が小売企業の技術戦略に影響することを意味している。

4  結びと含意

商業とマーケティングの対立は,商業の基本的性格が製造企業の差別化目的にとっての制約となることから提起された。しかし,これまで説明してきたように,商業の基本的性格とマーケティングにおける差別化が対立的に交錯することで生じる問題は,製造企業のチャネル管理問題に限定されるものではなく,小売企業も競合企業に対する差別化を行うことを考えると,小売市場競争においても見ることができる。すなわち,企業間では,従来からのチャネル管理問題に加えて,ECに対する店舗小売企業の差別化行動が,商業の基本的性格を巡る差別化の対立的な交錯問題として捉えられる。また,こうした企業間の対立関係の現象に加えて,小売企業の意思決定問題として,小売企業が後方組織化による差別化を展開する場合における商業とマーケティングの基本的性格に基づくトレードオフ問題も導かれる。

そこで,本研究では,小売市場競争や小売企業の意思決定に存在する商業とマーケティングの基本的性格を巡る対立を考えるとともに,それを取引費用の視点から捉えることで,小売業における商業とマーケティングの対立から小売企業の後方組織化やデジタル技術の導入の問題がいかに発生するかを考察している。具体的には,商業モードのコスト優位性かマーケティングモードの後方組織化による差別化かというトレードオフ問題や,商業モードに適合するオープンイノベーションを採用するかどうかという小売技術戦略の問題を商業とマーケティングの基本的性格に関連付けて議論したのである。

そして,このような商業とマーケティングの基本的性格に基づいて企業間での競争の問題や企業内での戦略における意思決定問題を考えることは,理論的に次のような意味を持つと考えられる。

まず,商業とマーケティングの基本的性格における異質性を明らかにすることにより,商業とマーケティングに関わる企業行動の異質性を捉え,製造業とは異なる小売業でのデジタル技術の導入による影響を考察するといった,商業に固有の課題としての考察が期待される。とくに小売業へのデジタル技術の導入に関しては,産業に依らない技術的優位性について言及されやすいが,商業モードとマーケティングモードに基づく競争行動の違いや戦略の意思決定問題を踏まえた議論を通じて,小売業に固有の課題として捉えることが可能になると考えられる。すなわち,小売業における競争行動や技術戦略に関する固有の特徴が,商業とマーケティングの基本的性格を巡る対立から導かれることが期待される。

二つ目には,小売業の研究における取引費用概念の適用に関して,関係特定的資産かどうかを考える理論的な根拠を商業とマーケティングの基本的性格から導くことができるという意味がある。本研究では,商業とマーケティングの基本的性格を取引費用と関連付けて捉えることにより,商業とマーケティングの基本的性格が投資の関係特定性に影響することを示したが,この考え方に基づけば,小売業におけるデジタル技術が関係特定的資産になるかどうかは,流通モードによって規定されると推論される。例えば,小売企業が物流システムへの投資を行うことに関して,これまでは技術的な性格から関係特定性が仮説として想定される傾向があったが(Kent & Mentzer, 2003高嶋,2015Takashima & Kim, 2016),商業モードの小売業では,効率性の追求のために物流システムへの投資が関係特定的な投資にならないという解釈を導くことが可能になると考えられる。

そして,このことは取引費用概念における関係特定性を規定する条件を提起するという理論的な意味に加えて,小売企業の戦略的行動をより深く的確に理解することを可能にするという意味をもたらす。すなわち,取引費用の視点では,関係特定的資産への投資が行われる状況において協調的で安定的な関係を構築することの重要性が指摘されるが,その一方で最近のオープンイノベーションの視点からは,汎用的な技術に基づく柔軟で拡張可能な関係の有効性が提唱されている。このような閉鎖的な関係性か開放的な市場取引かという戦略課題に対し,小売業におけるデジタル技術の導入が関係特定的資産になるのか,あるいはオープンイノベーションに基づくのかは,商業モードとマーケティングモードの戦略的な選択によって規定されることが推論される。

そのうえで,小売企業間における成長戦略や技術戦略などの差異がいかに生じるかを商業とマーケティングの基本的性格に関連付けて理解するとともに,小売企業行動に関する経験的研究で検証されるべき仮説を論理的に導くことが期待される。また,このような小売企業間における商業モードに基づく戦略とマーケティングモードに基づく戦略の差異に関する考察は,小売企業戦略に関する実践的な含意にも結び付くと期待される。

1)  デジタル技術の導入で取引費用が低くなると説明されることがあるが(Tapscott & Williams, 2006矢作,2021),削減されるのは流通費用であり,Williamson(1975)の取引費用ではない(加藤,2006)。

参考文献
 
© 2022 日本商業学会
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