抄録
本論では,メディアとしてのプロセッションに考察をくわえた。これまでの社会史・文化史研究では,通常,都市民らの表現手段やコミュニケーション・ツールと見なされてきたプロセッションであるが,ここでは地上と天上をつなぐ媒介手段としてのプロセッションという新たな見方の可能性を探った。具体的に対象としたのは,ブルッヘを中心とした南ネーデルラント都市における臨時の総行列と年次大プロセッションである。総行列については,15世紀後半にこれを集中的に記録した史料を素材とし,同時に収録された大量の処刑記録とあわせて検討することで,プロセッションの贖罪的性格を浮かび上がらせた。大プロセッションに関しては,儀礼の各プロセスや行列と同時に上演された劇の分析を試み,やはりここにもキリストの受難の表象を喚起し,信徒たちの内面を悔悛と救済への願望に導く様々な仕掛けが施されていることを確認した。最後に,これら総行列と大プロセッションをともに視野に収める問題領域として,都市権力および君主権力とプロセッションの関係にも言及する。そこから明らかとなるのは,プロセッションが単に現世の社会集団の間でコミュニケーションを可能ならしめるものであっただけでなく,地上と天上を媒介し信徒の内面を贖罪と救済へと志向させることで,その魂もろともに支配し管理せんとする都市や君主の統治手段として機能していたことである。この信徒の内面を天上に接続する役割をもってしてはじめて,中世後期のプロセッションは地上の政治社会で様々に自己主張する者たちを繋ぐメディアとしても重要な意味を持ちえたのである。