抄録
「重症心身障害」は、重い身体障害と重い知能障害が合併している状態であり、さらに呼吸困難・嚥下機能障害など生きていく機能の障害や、てんかんを伴っていることも多い。生きていくためには、多くの医療的な処置と日常的に全面的な介護が必要となる。
その医療・介護によって生命や健康が支えられるだけでなく、重い心身の障害があるこの人たちの人生が、生きるよろこび、生きがいのある人生であってほしいと思うのである。
人間は、身体による運動・動作、脳による思考、そして心・精神と言われる働きによって成り立っている。この人たちは、脳の重大な障害のために、それらの習熟・向上はきわめて困難である。のみならず、筋緊張や変形によって苦しめられる。しかし、この人たちは、自分の存在自身を、意識していなくても、なにかを「感じ」ている。
そのもっとも基本的な感覚は、「快」と「不快」ではないだろうか。生物は、生きるために、「不快」を避け「快」を求めているし、「快」は生きる喜びになる。運動・動作ができず、思考や精神活動ができなくても、自己の存在自体が気持ちよく、快適な状態であるならば、身体や心がよろこんでいると思う。
重症心身障害がある人への、わたしたちの取り組みの基本は、その人が「快」の状態であるように、ということではないだろうか。そのために何よりも大事なのは、人間関係であろう。何も分かっていないように思えるこの人たちが、家族の面会には、身体のやわらぎを示す。本人が安心し、リラックスしているという状態がなによりも大事であろう。そのとき、「快」の時空間があるだろう。この人たちに対する医療やケアは、一方的になりやすいが、母親が一緒にいたり、介護しているのを見ていると、時空間を共にしているのを感じる。ケアや必要な行為は、介護者と本人が協力しあっておこなわれているのを感じる。ケアはもとより、医療も双方的な関係であることが大事なのではないだろうか。
さて、障害のある人、新生児、高齢者などに対する「パーソン論」について、さらに実際に人間社会から、障害者などを排除する動向が世界で加速していることを述べたい。
「パーソン論」は、「新生児、重度の障害者、広汎な大脳機能を失った患者」などは、「理性」と「人格」を有していず、「人間でなく」、「生きているとは言えない」とする。その人たちからの「臓器移植」は、「正当化された殺人」として法的に認めると言う。1970~80年代からピーター・シンガー(オーストラリア出身、米国ブリジストン大学教授)、H.T.エンゲルハート(米国ベイラー医科大学教授)などによって主張されてきて、21世紀に米国やヨーロッパで現実化してきている。
死の「自由な意思(自己決定権)」をめぐる動向:自殺ツーリズム。安楽死法。医師による自殺幇助。自殺幇助プログラム。「安楽死後臓器提供」等
「無益な治療」の一方的停止:救命や延命措置の差し控えや中止を、医療サイドが一方的に決定する。
臓器移植とのつながり:重症の脳損傷を負った家族に対して、治療停止と臓器提供への圧力。
これら、「パーソン論」や今日の世界の状況は、人間の尊厳・多様性を奪い、人間に対する人間の支配・虐待・死をもたらし、人類の滅亡にいたる危険性さえあるのではないだろうか。(参考:児玉真美.死の自己決定権のゆくえ.大月書店,2013.ブログアドレスhttp://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara)
略歴
1964年 京都大学医学部卒業。インターン後、1965年 京都大学医学部小児科。以後、大津赤十字病院、京都吉祥院病院小児科を経て、1977年 重症心身障害児施設びわこ学園(現びわこ学園医療福祉センター)勤務(1984年~1997 第一びわこ学園園長)。1997年退職後、同非常勤医師、現在に至る。2011年 第20回ペスタロッチー教育賞受賞。著書:「重い障害を生きるということ」(岩波新書)、「異質の光-糸賀一雄の魂と思想」(大月書店)他。