日本重症心身障害学会誌
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シンポジウム1:障害者総合支援法からみた重症心身障害、その課題と方向性
障害者総合支援法からみた重症心身障害、その課題と方向性(座長抄録)
平元 東宮野前 健
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2014 年 39 巻 2 号 p. 198

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抄録

重症心身障害児(者)を取り巻く福祉施策や社会環境は大きく変わろうとしています。障害者総合支援法が施行され、身体・知的・精神障害の障害種別にかかわらず福祉サービスは共通の制度により提供される一つの福祉体系にまとめられ、社会参加・地域生活を重視した施策となり、実施主体も障害者が暮らす市町村に移行しました。 昭和30年代半ばから島田療育園、秋津療育園やびわこ学園など、多くの課題を克服しながら民間の重症心身障害児(者)の施設が造られ始めました。その後半世紀の間に日本各地にそれぞれの理念を掲げ、地域に根ざした公立・法人立重症児施設が建設され、平成25(2013)年4月現在125カ所(12,537床)になっています。また旧結核療養所は、昭和40年代に入り結核患者減少に伴う「後医療」として、重症心身障害医療を取り入れました。平成16(2004)年国立病院機構に組織改編され現在74カ所(7,500床、国立精神神経医療研究センター病院を含む)となっています。それぞれの生い立ちや歴史の異なる2つの施設群が、半世紀にわたり世界に類を見ない日本の重症心身障害医療を担って来ました。 この背景には昭和39(1964)年に「全国重症心身障害児(者)を守る会」が組織されて、日本の重症心身障害施策の推進に大きな役割を果たしてきたことがあります。「守る会」の三原則の一つに「最も弱いものをひとりももれなく守る」を掲げています。この理念が世界に類のない福祉と医療が表裏一体の重症心身障害施策を日本にもたらしたと考えます。 平成18(2006)年障害者自立支援法(現総合支援法)が施行され、重症心身障害施設は18歳以上を対象として療養介護事業へ制度移行となりました。経過期間を経て平成24(2012)年からは公立・法人立重症児(者)施設と国立病院機構の重症児(者)病棟は医療型の療養介護事業に変わり、特に国立病院機構では 大きな質的な変化をもたらそうとしています。重症児施設が全国に設置されはじめた当時は、守る会、行政、施設側も「みんな、もれなく施設での療養生活」を共通認識として取り組んで来ました。しかし在宅医療の進歩や拡充に伴い在宅療養生活が身近なものになり、たとえ医療ニーズの高い重症児(者)であっても社会からの支援があれば可能になりつつあります。この時代の流れの中、施設に期待される機能も変化して、利用者の日中活動や社会参加もクローズアップされています。このシンポジウムでは「障害者総合支援法からみた重症心身障害、その課題と方向性」と題して厚労省からは福祉行政の立場から、利用者の視点として「全国重症心身障害児(者)を守る会」、また設立母体やその歴史は異なりますが、 利用者を受け入れる公立・法人立施設および国立病院機構病院の現状や課題、施設における地域のニーズを見据えた取り組みを述べていただきます。 これからの施設の在り方や求められる機能、重症児福祉施策の方向性に関して、参加者の皆さん方と率直な意見交換や活発な議論が出来ればと考えています。 略歴  平元  東 1982年 旭川医科大学医学部 卒業 1983年 旭川厚生病院小児科 1984年 遠軽厚生病院小児科 1985年 旭川医科大学附属病院小児科 1986年 北海道療育園 1987年 旭川厚生病院小児科・NICU 医長 1993年 北海道療育園 診療部長 1997年 北海道療育園 園長(現職) 宮野前 健 1977年 京都大学医学部卒業 小児科学教室に入局 1980年 京都大学医学部大学院 1983年 京都大学小児科学教室助手 この間3年間グスタフルーシー研究所(フランス)に留学 1989年 兵庫県立尼崎病院 小児科医長 1990年 旧国立療養所南京都病院 小児科医長 1998年 同 副院長 (2004年独立行政法人国立病院機構南京都病院に組織改変) 2012年 同 院長

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