抄録
本学会において急遽、上記テーマでシンポジウムがおこなわれることになった。
重症心身障害者施設では、長期にわたる医療と生活の経過の中で、重症・重度化、高齢化もあり、手術や経管栄養などの医療行為が必要となることも多く、また悪性腫瘍に罹患することも増え、終末期の問題もおこってきている。
そして医療行為に対する意見や同意が、本人から得られることは、まずない状態である。したがって施設側としては、代理判断を近親者などに求めることになるが、かんたんに回答が得られることは困難である。
ガンなどの治療方針決定や、必要な医療行為や終末期医療における意見や同意は、本人の意思や気持ちに基づいて、本人に関わりのある近親者によってなされるのが順当なことであろうが、両親が高齢であったり亡くなっていることもある。その場合には兄弟姉妹や叔父・叔母となるであろうが、日頃から本人と関係が深い人は少なく、「本人の意思や気持ち」は分かりづらく、その人たちも判断に困ることになる。
また身寄りのない人には、「第三者未成年後見人」「第三者成人後見人」ということになるが、現実的にはそのような後見人は少なく、またこの後見人は「医療行為」の承諾はできないことになっている。
このような状態の中で、シンポジストの麻生幸三郎氏は、「複数の人間が議論して結論を出す」「決定に至る経過を文章に残し、必要に応じて公開性を確保」することが必要であるとしている。宮坂道夫氏は「本人の『推定意見』あるいは『最善利益』に基づいて代理判断を行う」とするが、実際には困難であることを述べている。本人の代弁者については、「周囲の人間が、本人の最善利益を代行する人物であることを認めていること」としている。
弁護士の新谷正敏氏は「『医療同意』は、本人の身体に関する自己決定の問題と考え、他人である成人後見人は『自己』決定できないと考えられている」としている。そして「近年、積極的に成人後見人に医療同意権を認めるべきであるとの考えが増している」と述べている。以上の重症心身障害者施設の医師、大学の研究者、弁護士とともに、シンポジストである児玉真美さんは、親の立場から次のように述べている。
「親であるからこそ、最良代理者であると自認していたが、必ずしもそうでない」こと、それに娘の医療に関して、医療機関の中でのディスコミュニケーションについて述べている。そして親が亡くなったあとの医療などに関わる決定はどうなのかとの心配と問題を提起している。娘のことをいちばんよく知っている人がアドボケイトとして最も尊重されるシステムであってほしいと述べている。
以上、簡単に各シンポジストの発言予定稿からまとめたが、次の二つの大きなテーマがあると考える。一つは、本人に関わる重大な問題についての決定方法についてであり、もう一つは、日常的な医療や生活における、本人の「意思」、家族の願い・考えと医療を担当している職員・管理者との意思疎通の問題である。
本人・家族と施設職員・医療者・管理職者との日常的な意思疎通があってこそ、終末期などの重要な問題についての意思疎通もなされることを考えて、この二つのテーマについて深め、これらの問題が少しでもすすんでいくことを期待したい。
略歴
髙谷 清 1964年 京都大学医学部卒業。インターン後、1965年 京都大学医学部小児科。以後、大津赤十字病院、京都吉祥院病院小児科を経て、1977年 重症心身障害児施設びわこ学園(現びわこ学園医療福祉センター)勤務(1984年~1997 第一びわこ学園園長)。1997年退職後、同非常勤医師、現在に至る。2011年 第20回ペスタロッチー教育賞受賞。著書:「重い障害を生きるということ」(岩波新書)、「異質の光-糸賀一雄の魂と思想」(大月書店)他。
小沢 浩 1990年 高知医科大学医学部(現高知大医学部)卒業、浜松医科大学小児科入局、都立八王子小児病院、国立精神・神経センター武蔵病院都立八王子などを経て、2003年より島田療育センター小児科、2011年4月より島田療育センターはちおうじ 所長 活動は、八王子在宅重症心身障害児者の会代表、特別支援学校・通所施設・児童相談所・児童養護施設・日野市発達支援センター医療スーパーバイザーなどを行っている。 著書:愛することからはじめよう(大月書店)、奇跡がくれた宝物−いのちの授業−(クリエイツかもがわ)