抄録
医療倫理学の原則的な考え方では、代理同意の問題はきわめて単純に、以下のような図式に整理されてきた。
A. 本人に判断能力があれば、その意向を尊重する。
B. 本人に判断能力がなければ、以下のいずれかの基準によって代理決定を行う。
1) 本人の推定意思に基づいて代理決定を行う。
2) 本人の最善利益に基づいて代理決定を行う。
一般の小児医療などでは、判断能力がそれなりに認められる患児に対して、本人から同意を得ること(法的な同意能力を持たない小児に同意を得る手続きとして informed assentと呼ばれているプロセス)が最近では推奨されている。重症心身障害児者の多くでは、informed assentを得ることが難しく、Bの1)か2)の対応を考えざるを得ない。しかし、この両者とも、実際には様々な困難があることが、かなり以前から論じられてきた。1)の推定意思を確実に知る方法は、あらかじめ本人に希望を表明してもらっておくこと(文書で「事前指示書」を作成してもらうことが最も確実である)だが、これは「かつて判断能力があった(once competent)」人の場合にしか適用できず、重症心身障害児者では現実的ではない。
Bの2)については、最善利益をどう評価すべきかが核心的な問題なのだが、これについての議論は未だに深まっていない。これがなぜ困難かといえば、最善利益を考えるとき、それを「本人の価値観」に基づいて考えたいのに、それを知ることが難しいからである。「本人の価値観」は、きわめて個別性の高いものであり、個人のアイデンティティの核心部分であり、赤の他人が簡単に知り得るものではない。そこで家族などの「本人の価値観」を代弁できる人を代理人として判断してもらうことになる。このことは重症心身障害児者でも同様であり、親身になって寄り添ってきた親などの家族がいたとすれば、その人が「本人にとってこれが最善だろう」と考えるところに従えばよいことになる。その際に、その判断内容があまりに不合理なものでないかぎりは、特別問題視されることはないのは、その人以上に「本人の価値観」を代弁しうる人を誰も見いだせないからである。問題は、その人が本人の最善利益を代弁する人物であることを、周囲の人間(医療従事者など)が認めているかどうかのみである。
ところが、そのような人、つまり「本人の価値観」を代弁しうるような、親身になって寄り添ってきた親などの家族がいない重症心身障害児者の場合はどうだろうか。これが最も難しい場合と思われるが、強いて類型化するならば、意思決定の基準は二種類になるだろう。一つは、「本人の価値観」を家族に代わって別の人間が構築することである。「この人はこういうときに喜び、こういうときに悲しんでいた。だから、このような処置は喜ぶ(喜ばない)だろう」——このような個別性の高い捉え方ができる人物が医療チームの中にいて、その人が本人の最善利益を代弁しうることを、周囲の医療従事者などが認めていて、その見立てがあまりに不合理なものと言えないのであれば、親の判断と同様に、その人の判断が問題にされることはないのではなかろうか。もう一つは、「客観的指標」を用いようとすることである。同様の年齢、症状といった指標を参照して、合理的に考えて苦痛の少ない方法を採用する、という意思決定の方法である。その選択が合理的であるのか、また対外的に説明責任を果たせるものなのかを、合議によって評価すればなお確かであろう。しかし、そのような二分法で現実の臨床でのジレンマの解決策が見えてくるのだろうか。これについて、このシンポジウムの中で議論したい。
略歴 宮坂道夫 新潟大学大学院保健学研究科 教授 早稲田大学教育学部卒業、東京大学大学院医学系研究科博士課程単位取得、博士(医学、東京大学)。専攻は医療倫理学、ナラティヴ・アプローチ。日本生命倫理学会評議員、日本医学哲学倫理学会理事。著書に『医療倫理学の方法 原則・手順・ナラティヴ』(医学書院)、『新生児・小児医療に関わる人のための看取りの医療』(診断と治療社)、『ナラティヴ・アプローチ』(勁草書房)、『We shall bear witness: Life narratives and human rights』(Wisconsin University Press)など。