日本重症心身障害学会誌
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シンポジウム3:重症心身障害に対する看護の成果と課題
施設看護管理者の立場から「重症心身障害看護の持つ力」
有松 眞木
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2015 年 40 巻 2 号 p. 201

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抄録
1961年に小林提樹先生が島田療育園を創設された。常に重症心身障害児(以下、重症児)とその家族に向き合ってきた看護も54年の歴史を持つ。小児看護を基本として始まった重症児の看護は、今や、小児期のみならず青年期、成人期、さらに高齢期まですべてのライフステージが対象である。重症児施設ができた頃には予想もできなかった重症児の生涯である。重症児の傍らにいつもいた看護師は、彼らが生きるその時々の課題を共に乗り越えながら成長してきた。彼らの障害のある身体と心から、生命の仕組みやよりよく生きることの意味を学びつつ重症児の看護のあるべき姿を模索してきた。彼らがここまで長命になりえたのは、医学の進歩と重症児医療のたゆまぬ努力の成果ではあるが、私たちの看護もその一端に入れてもらえるだろうか。そして、私たちの看護は彼らから何を育まれ、力としてきたのだろうか。小林先生の言葉に微細観察と先取りした対応をとある。私たちは、表現力の低い重症児のわずかな変化を捕える観察眼を持った。それは小さな症状をつかむばかりでなく、重症児の心の声をも聞き取る看護の五感である。看護の優しい声かけや丁寧なケアがあって、重症児は声なき声を発することができる。この重症児とのコミュニケーション力は彼らの病状の発見、早期対応につながった。健康状態が安定した上で、学校教育や余暇活動を積極的に受け止める余裕ができる。重症児はわずかな持てる力を使いながら、楽しみや生きがいや役割観を感じて生きる力とする。重症児とのコミュニケーションは重症心身障害看護の中でも難易度が高く、自分の行った看護の効果を確認できない困難性がある。しかし、それを克服することで重症児との信頼関係もでき看護の魅力となる。筋肉の緊張異常を持つ重症児の安楽を作り出す技術も私たちの持つ力である。抱き方、ポジショニング、移動援助、呼吸理学療法で排痰を促し、変形拘縮や内臓の状態に配慮した体位で、経管栄養剤の注入時、逆流や誤嚥予防、胃や腸の滞留を回避できる。これらは医師やリハビリ職員との協働により日常生活ケアに生かすことができた。他動的ながらも安全と安楽を配慮した重症児の動くことは、微妙ではあるが彼らの運動となり、心の動きをもたらし、生き生きと生きることにつながった。当センターは1980年代半ば以降、最初は小児、徐々に成人で医療化が進んだ。継続的濃厚医療と永続的看護を必要とする重症児は超重症児となり、保険診療に加算された。看護は生活主体の療養環境に医療体制を構築してきた。感染管理認定看護師を置き標準予防策やゾーニング体制を整え、加えて、安全で確実な医療を提供するために看護師確保を進め、看護教育システム、看護手順や看護基準を整備してきた。これらから重症児の疾病期間は短くなり、感染拡大も抑えることができている。医療が進むと他職種との協働と役割分担が一層必要となる。お互いの持つ情報を共有し、同じ方向性で個別支援計画を立てる。専門性を尊重しあうことで、重症児の命と生活の質が保たれる。療育の中で、身体と生活の両面に専門性を持つ看護は他の専門職をつなぐ主要な力である。今私たちは、重症児の高齢化により、障害が病状をさらに複雑にしていく実態の中にいる。早い廃用症候の表れや癌の罹患も多くなり、選択的医療や重症児らしい看取りが課題である。私たちは、懸命に生きてきた命が最期まで穏やかであるように優しい看護をし続けて行こう。近年、重症児看護を経験した看護師が少なく、在宅向けのサービスが充分に機能できず、在宅重症児者のニーズが満たされていない状況がある。重症児施設で醸成されたこれらの看護力を施設のみならず、在宅重症児者とその家族のために役立てたい。幸い、重症心身障害福祉協会認定の研修機関が全国に8カ所でき、認定を受けた重症心身障害看護師は253名になった。今、彼らの活躍の場をどう作るかが私たちの課題である。 略歴 1969年東京大学医学部付属看護学校卒業 1969年4月~1984年6月東京大学医学部付属病院 勤務1986年12月~1988年4月国立相模原病院 勤務 1988年5月~社会福祉法人 日本心身障害児協会 島田療育園(現、島田療育センター) 2002年~看護部長 療育部長 2011年~療育担当参与を経て現在療育部顧問 2011年~2014年日本重症心身障害福祉協会認定 重症心身障害看護師 審査委員長
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© 2015 日本重症心身障害学会
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