2025 年 62 巻 5 号 p. 257-260
私が医学部を卒業した当時はどの診療科でも女性は歓迎されなかったこともあり,自身の根底には常に存在意義の追求があるように思う.それは皆が驚くような研究をするとか,IFが高い論文を連発するとかいったものではなく,『医師として求められている』という極めて原始的でささやかなものだ.病棟の9割をがんの子どもが占める最初の勤務地での経験が他の研修先でも頼りにされ,自然に小児腫瘍学に興味を持つようになった.小児プライマリ研修が終了するころ突然大学院進学を指導され言われるままに進学したのだが,おかげで育児をしながら基礎研究を学ぶ機会をいただき学位も取得した.一通りの小児がん診療ができるようになると,今度は終末期管理に途惑う自分を強く自覚するようになった.しばらくして自施設に成人緩和ケアチームが設置され,嬉しくなった私は小児科医として参加したが,成人領域と小児領域の緩和ケアの実践が自分の中でどうしても噛み合わず,やはりどこかで小児に特化した緩和ケアを学びたいと思うようになった.その時50代も半ば.相当悩んだ末にやはり自分に求められていると感じることを深めていこうと決意したのである.歳を重ねてからの留学は違ったかたちで有意義でエネルギーが満たされる経験であった.若い時期を逃しても,本当に学びたいと思えばいつでも学ぶことはできると今更ながら実感した.