Palliative Care Research
Online ISSN : 1880-5302
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症例報告
乳酸脱水素酵素(LDH)の著明な上昇と乳酸アシドーシスを生じ,頻呼吸をきたした前立腺癌末期の1例
村瀨 樹太郎宮森 正西 智弘小栁 純子佐藤 将之山岸 正
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2015 年 10 巻 3 号 p. 539-542

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Abstract

【緒言】前立腺癌による乳酸アシドーシスの報告は1例のみで本邦での報告はない.われわれは前立腺癌末期に著明な乳酸脱水素酵素(Lactate Dehydrogenase;LDH)の上昇と乳酸アシドーシスを生じた症例を経験した.【症例】66歳男性.前立腺癌,骨・肝転移.化学療法・ホルモン療法後.緩和ケア中心に在宅療養していた.嘔気・食欲不振のため入院し,LDH 11,894 IU/L(LDH4 23%, LDH5 32%)と著明な上昇を認めた.入院後に頻呼吸が出現し,血液ガスでpH 7.402, pCO2 13.2 mmHg, HCO3− 8.0 mmol/L, Lac 10.0 mmol/Lと乳酸アシドーシスと診断した.【考察】LDH(とくにLDH5)の著明な上昇は腫瘍細胞からの嫌気的解糖系の亢進を示し,乳酸蓄積と乳酸アシドーシスに至ったのではないかと推測した.その結果,乳酸アシドーシスの症状として嘔気・頻呼吸が生じたと考えられた.

緒言

 悪性腫瘍による乳酸アシドーシスの報告は少ない.われわれの知りうる限り,悪性リンパ腫などの悪性血液疾患がほとんどで前立腺癌は1例のみであり,本邦での報告はない.われわれは,緩和ケア中心に加療中の前立腺癌末期に嘔気を主訴に受診し,著明な乳酸脱水素酵素(Lactate Dehydrogenase; LDH)の上昇を認め,その後に乳酸アシドーシスを生じ頻呼吸をきたした症例を経験したので,文献的考察を加えて報告する.

症例提示

 【症 例】66歳男性

 【主 訴】嘔気・嘔吐・食欲不振

 【現病歴】2011年6月に泌尿器科にて前立腺癌・骨転移(cT4N1M1b)と診断され,化学療法(ドセタキセル)・ホルモン療法(ビカルタミド)を行うも効果なく副作用の出現により2012年11月に緩和ケア中心の治療となった.2013年4月に食欲不振で受診し播種性血管内凝固症候群(DIC)の診断(急性期DICスコア6点)で入院した.貧血の進行もあり輸血後に症状が改善し自宅退院となったが,通院困難であったため緩和ケア内科に転科し訪問診療を開始した.その後5月に嘔気・嘔吐・食欲不振のため緩和ケア病棟に入院した.

 【常用薬】デキサメタゾン1 mg/2x朝夕,イフェンプロジル酒石酸塩 60 mg/3x毎食後

 【既往歴】なし

 【入院時身体所見】意識清明,体温36.8℃,血圧106/87 mmHg,脈拍112回/分 整,呼吸数20回/分,酸素飽和度95%(室内気).眼瞼結膜貧血あり,眼球結膜黄染なし,頸部リンパ節腫脹なし,心音純,呼吸音清,腹部平坦,軟,圧痛なし,反跳痛なし,腸蠕動音正常,四肢浮腫なし,四肢皮下出血多数あり.

 【血液検査】血液検査結果を表1に示す.LDHは11,894 IU/l (LDH1 4%, LDH2 13%, LDH3 23%, LDH4 28%, LDH5 32%)と著明な高値であった.また,ALP 1,417 IU/l (ALP1 6%, ALP2 48%, ALP3 46%),CRP 30.39 mg/dlやTotal PSA 1,964.5 ng/mlなどの高値を認めた.LDHのアイソザイムを図1に示す.また,入院前後のLDHとTotal PSAの推移を図2に示す.

表1 血液検査結果
図1 LDHアイソザイム
図2 入院前後のLDHとTotal PSAの推移

 【尿検査】尿比重 1.020,pH 5.0,尿タンパク(1+),

ケトン体 (1+),潜血反応 (2+),ウロビリノーゲン (−),白血球 (−),亜硝酸塩 (−)

 【動脈血液ガス(室内気) 第4病日】pH 7.402,pCO2 13.2 mmHg, pO2 102.1 mmHg, HCO3− 8.0 mmol/L, BE −14.8 mmol/L, Glu 201 mg/dL, Lac 10.00 mmol/L

 【画像所見】胸部単純X線において明らかな肺炎像,腫瘤影,胸水は認めない.腹部単純X線において明らかな腸閉塞所見は認めない.

 【経 過】入院時に炎症反応の上昇を認めたが,明らかな感染症を疑う所見は見られず,経過から癌によるものと考えられた.血球減少は2013年2月から徐々に進行し,4月のDICに至った時点で血小板数4.5万/μl,Dダイマー24.7 μg/ml,末梢血にて骨髄球を認めたことから広範な骨転移に伴う播種性骨髄癌腫症と診断し,前立腺癌と播種性骨髄癌腫症を背景とした慢性DICの状態であった.嘔気は,デキサメタゾン,メトクロプラミド,プロクロルペラジン,ビタミンB1 の投与で一時的に改善がみられたものの,その後も遷延した.第4病日に呼吸数40回前後の頻呼吸が出現し,動脈血液ガス(室内気)でpH 7.402, pCO2 13.2 mmHg, HCO3− 8.0 mmol/L, Na 131 mmol/L, Cl 100 mmol/L, Lac 10.0 mmol/Lと乳酸アシドーシスを認めた.第5病日に永眠された.

考察

 LDHはあらゆる組織に広く分布し,細胞質に存在する.とくに,心・肝・骨格筋・腎・癌組織に多い.エネルギー産生経路の一つである嫌気的解糖系の最終段階に働く酵素(乳酸+NAD⇔ピルビン酸+NADH)である.腫瘍細胞は酸素が十分な環境であっても嫌気的解糖系をより利用する傾向がある1), 2), 3).腫瘍細胞内でLDHを上昇させることで効率よく解糖系を機能させ,酸素依存度も減らしているといわれている4).LDHはH鎖(心筋型)とM鎖(骨格筋型)との2種類のサブユニットの4つ組み合わせでなる4量体であり,その組合せで5種類のアイソザイム(LDH 1〜5)が存在する.M鎖を4つもつLDH5はその構造からピルビン酸から乳酸に変換する際に最も効率的に触媒するアイソザイムである5)

 LDH活性が血清中に増加するのは,いずれかの臓器で組織の損傷が存在し,LDHが血清へ逸脱していることを意味する.ASTとの比較やLDHアイソザイムのパターンから障害組織の部位をある程度まで推定することができる.ASTとLDHの比(LDH/AST)では白血病(10-100),癌(6-20),悪性貧血(20-50)などが参考となる6).LDHアイソザイムにおいては,LDH1・2増加 (溶血性貧血,悪性貧血,心筋梗塞など),LDH2・3増加 (膠原病,白血病,肺癌,悪性リンパ腫,進行癌,筋ジストロフィー,膵炎など),LDH4・5増加 (骨格筋の損傷,肝炎,肝癌,前立腺癌,多発性筋炎,うっ血性心不全など),アノマリーパターン (免疫グロブリンとの結合および遺伝的変異など)に分けられる.悪性腫瘍の場合,一般的にはLDH2・3が主として増加するが,転移・合併症などのため必ずしも典型的なパターンをとるとは限らない.嫌気的解糖系が亢進するWarburg効果によってLDH5も上昇することが多く,前立腺癌,肝細胞癌がその代表である7), 8).また,前立腺癌ではLDHB遺伝子のDNAメチル化がLDH上昇に関与しているという報告もある9)

 本症例では,LDHの上昇を半年以上前から認めていたが,今回の入院時に著明に上昇した.入院時のLDHの上昇は1万IU/L以上でLDH/AST=15,LDH4・5増加のパターンであった.この症例でのLDHの上昇の理由としては,①前立腺癌の急激な腫瘍量の増加: 悪性腫瘍そのものからの逸脱(肝転移・骨転移),②肝転移巣の壊死: 肝・胆道系の酵素の上昇に一致,③骨髄浸潤による貧血の進行などが挙げられるが,LDHの上昇がTotal PSAの上昇と一致していること(図2),LDHアイソザイムのパターンがLDH4・5の上昇パターンであることから①が主な要因ではないかと考えた.

 一方,乳酸アシドーシスは,種々の原因による血液中の乳酸値の上昇し血液がアシデミアになっている状態であり,A型とB型に分けられる.A型は組織潅流の低下に伴うもので,循環不全や貧血などが原因となる.B型は好気性代謝障害によるもので,悪性腫瘍・糖尿病・腎不全・肝不全・ビタミンB1欠乏などが原因とされる10).B型乳酸アシドーシスの治療法は原疾患の治療が主で,その他にビタミンB1の補充や透析などもあるが確立しておらず予後不良である10)

 悪性腫瘍に伴う乳酸アシドーシスの原因は未だ解明されていないが,解糖系の亢進,肝機能障害,乳酸の代謝障害の関与がいわれている10).悪性腫瘍による乳酸アシドーシスの報告は少なく,その中でも悪性リンパ腫や白血病など悪性血液疾患がほとんどである10), 11). われわれの知りうる限り,前立腺癌での乳酸アシドーシスの報告は1例のみで12),本邦での報告はない.

 本症例は経緯から前立腺癌に伴うB型乳酸アシドーシスが最も疑われた.DICによる血栓傾向が乳酸アシドーシスの原因のひとつとなりうるが,慢性DICも前立腺癌と播種性骨髄癌腫症を背景としたものと考えられた.一方,神経所見や腎障害がなく破砕赤血球も認めなかったため血栓性微小血管障害症は否定的であった.入院時は全身性炎症反応性症候群(SIRS)であったが身体所見や画像所見から明らかな感染徴候は見られなかった.本症例の特徴であるLDH(とくにLDH5)の著明な上昇は,前立腺癌の急激な腫瘍量増加に伴った嫌気的解糖系の亢進を示していると考えられ,腫瘍細胞からの嫌気的解糖系の亢進および飢餓状態が乳酸蓄積と乳酸アシドーシスに至ったのではないかと推測された.その結果,乳酸アシドーシスの症状として嘔気・頻呼吸が生じたと考えられた.

 緩和ケア病棟においては患者のQOLを優先することが重要で,最小限の負担となる検査から診断し,限られた資源での治療となる.本症例では,入院前の経過および変化,身体所見,制限ある検査所見から症状が改善困難な前立腺癌からの乳酸アシドーシスによるものと推測し,可能な範囲での嘔気と乳酸アシドーシスへの対応を薬剤投与で行った.

結論

 前立腺癌末期にLDHの著明な上昇と乳酸アシドーシスを生じた1例を経験した.前立腺癌の急激な腫瘍量増加に伴った腫瘍細胞からの嫌気的解糖系の亢進がLDH(とくにLDH5)の上昇をきたしたと考えられ,その結果,乳酸蓄積と乳酸アシドーシスに至ったのではないかと推測された.前立腺癌末期においても嘔気・頻呼吸の鑑別のひとつとして乳酸アシドーシスを考慮することが重要である.

References
 
© 2015 日本緩和医療学会
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