抄録
本稿は,19世紀末の経験科学的な心理学がもたらした「感覚」の位置の変化が,教授理論における心身の関係を再編し,「感覚」に依拠した統御の論理を帰結したことを明らかにする.
1880年代までの実物教授において「知覚」は,外界の事物から得られる知識と,児童の心意とを媒介する存在と位置づけられた.そして「知覚」のなかでも,とりわけ「眼」が精密な知識の獲得に適するとされたのである.したがって,正確な知識を得るためには,事物と心意を媒介する眼を規律し,目前の事物を注視するための注意力を身につけることが重視された.
一方,1890年代の心理学的教授において「感覚」は,五官への刺激によって生じるものと位置づけられた.そして偶発的な刺激が惹き起こす不確かな「感覚」こそが,観念を形成するとされた.したがって,意識は「感覚」によって生じる諸観念が相剋する流動体と位置づけられる.19世紀末の教育学への心理学的知見の導入が,一方で,(1)主体を偶発的な「感覚」によって左右される受動的な存在とし,同時に,(2)能動的な「注意」によって観念を構成していく存在と位置づけた.また他方で心理学的教授は,(3)目指すべき観念群を設定することによって,(4)「感覚」に依拠した統御の論理を帰結した.こうした感覚理論の変化に伴い,映像装置を用いた実践の目的もまた,知覚力の練習から感覚の計測と統御へと変化したのである.