抄録
近代の都市空間において天皇家の祝祭はどのように人びとから意味づけられ, 体験されていたか. またその体験や意味づけは, 都市を構成するモダンな諸要素とどのように関連しあっていたか. 本稿は, これらの問いについて社会学的な視点からアプローチすることで, 天皇家の祝祭が近代化のプロセスにとって含んだ意義を再検討することを主題としている.
とりわけ本稿が注目したのは帝都の祝祭体験がはらんだモダンで都市的な相貌についてである. すなわち大正・昭和初期の東京では, 天皇家の祝祭にかかわる意味と体験は<消費>という欲望・営みによって基礎づけられていた. 当時の東京にあって人びとの祝祭体験を第一義的に特徴づけていたのは, 天皇に祝意をささげる営みに没入・熱狂する<国民的>な態度ではなかった. 資本が提供するモノやサーヴィスに耽ることで祝祭のふんいきを傍観者的に楽しもうとする<消費者>としての態度のほうだった. 本稿では, この点について東京の近代的発展と関連づけつつ考察することで, 従来の国民国家論的な枠組みではとらえきれない, モダンで都市的な祝祭体験の所在をあかるみにしている.