社会学評論
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63 巻, 2 号
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公募特集・社会学理論とフィールドの互酬性
  • 好井 裕明, 三浦 耕吉郎
    2012 年 63 巻 2 号 p. 180-184
    発行日: 2012/09/30
    公開日: 2013/11/22
    ジャーナル フリー
  • 稲津 秀樹
    2012 年 63 巻 2 号 p. 185-202
    発行日: 2012/09/30
    公開日: 2013/11/22
    ジャーナル フリー
    本稿は, 国家間を移動する人びと/エスニシティのフィールドにおける出会いの過程に着目し, 調査者の<自己との対峙>を通じた問いを提出する意味と意義を考察した. 筆者の調査過程を振り返ると, 可視性に基づく問いと関係性に導かれる問いという2つの問い方が提出された. 前者では, 彼らと居合わせた空間における視覚の対象として捉えることで「外国人」として対象を措定し, 反対に自己を対象化せずに調査が行われる. このため調査者のまなざしが問われずに, 多様な関係性は「外国人」と「日本人」の二者関係へと集約され, 当の認識を生みだす場の力学自体が不問に付されていた. だが筆者は, 現場の人びとの関係性に導かれた場所での出来事から自己の存在論的な問い直しと共に, 彼らのことを「外国人」としてまなざす権力自体を捉え直す契機を与えられる. グローバル化により変容する「生きた人間同士の出会い」に立ち返り, その内実を上述の観点から再考することで, 彼らの存在を「外国人」として差異化する権力作動の問題を, 関係性が問われる場所の次元から批判的な議論の対象とする方向性が開かれる. その意義は, グローバル化がもたらす社会状況――多様な背景をもつ者が居合わせている「日常」――が在りつつも, なお成員間を差異化させる力とは何かという問いに対し, 結果としての二者関係認識を反復せずに越え出ていくような, フィールドワークの可能性と課題を導くからにほかならない.
  • 非集住的環境で生活する在日コリアンのフィールドワークから
    川端 浩平
    2012 年 63 巻 2 号 p. 203-219
    発行日: 2012/09/30
    公開日: 2013/11/22
    ジャーナル フリー
    本稿では, 筆者の出身地である岡山で2002年からとりくんでいる, 在日コリアンの若者のフィールド調査と活動の実践の経験に基づき, 既存のアイデンティティ政治やその現場との互酬性のなかで育まれてきた理論によって不可視化されている日常的実践の領域を考察する. 第1に, 非集住的環境で育った在日の個人化を促す2つの力学である, エスニック共同体の溶解という歴史的過程と, 自己責任的主体の構築を促す新自由主義的な価値観について考察する. 第2に, 戦略的なアイデンティティ政治によって描き出される主体のイメージに内包されることなく, かつ日本社会に同化していく存在として捉えられることによって二重に不可視化されている状況について考察する. 第3に, そのような二重の不可視化に対して, 戦略的なエスニシティを基盤としつつ営まれる, 戦術的な日常的実践の領域について検討する. これらの今日の在日の現状を考察するうえでの分析枠組みを踏まえたうえで, 4節以降では, 筆者のフィールド調査の経験を振り返り, これまで捉えきれなかった日常的実践の即興性を明らかにし, 調査者と対象者の関係性を問い直すことによって深まるフィールドのリアリティについて述べる.
  • 「人々の社会学」の視角から
    宮地 弘子
    2012 年 63 巻 2 号 p. 220-238
    発行日: 2012/09/30
    公開日: 2013/11/22
    ジャーナル フリー
    ソフトウェア開発エンジニアたちは, エンジニア職の自律性が尊重された職場において, 燃え尽きにまでいたるほど自発的に労働に没入している. このような自発的・没入的労働は, 従来, 企業が設計した文化的規範をエンジニアたちが内面化してそれに随順した, 規範的統制の結果として考えられてきた. 本稿は, 大手ソフトウェア開発企業X社を事例として取り上げ, エンジニアたちへのインタビュー調査をもとに, 現場の文化的規範である<コード>を抽出した. エンジニアたちの自発的・没入的労働の語りは, 一見, 内面化した<コード>に随順し続けた物語のように解釈可能であった.
    しかしながら, 本稿は, エンジニアたちの語りを「人々の社会学」の視角から分析することで, 規範への随順に回収することのできない語りの意味を明らかにした. エンジニアたちは職場の文化的規範を一様に内面化し, 厳しい労働に没入しているのではない. エンジニアたちは, <コード>に象徴されるX社の現場に特有の常識的知識を解釈枠組みとして, 他者の語りの意味を不断に読み替え, またその裏で, <コード>を語ることで自己の関心をしたたかに追求し続けるという相互行為によって協働を達成し, 結果として, 燃え尽きにまでいたる厳しい労働に巻き込まれていくのである.
投稿論文
  • 新たな社会構想としての「多様な互酬性」の可能性
    平野 寛弥
    2012 年 63 巻 2 号 p. 239-255
    発行日: 2012/09/30
    公開日: 2013/11/22
    ジャーナル フリー
    本稿は, 社会政策における互酬性の変遷をその構造に着目して比較分析することにより, それぞれの互酬性の異同を明らかにするとともに, 新しい互酬性として提案されたTony Fitzpatrickの「多様な互酬性」がもつ社会構想としての可能性を検討するものである.
    第2次世界大戦後に成立した福祉国家体制が変容していくなかで, 社会政策における互酬性もまた変遷を遂げてきた. とりわけ現在支配的な言説となっている「福祉契約主義」においては, 権利に伴う義務の重要性が強調され, 権利を制約しようとする傾向が強まっている. これに対して「福祉契約主義」の対抗言説として提唱された新たな互酬性の1つである「多様な互酬性」は, 無条件な義務を前提としつつも, 権利に伴う義務の要求を逆手に取り, 義務の履行条件として無条件な権利の要求の正当性を主張する戦略であることが明らかとなった.
    この「多様な互酬性」からは, 無条件での基礎的生活保障の提供や「ヴァルネラブルな人々」に対する公正な保護, 多様な義務の選択可能性など, 現在直面している社会問題に対する新たな対応策への示唆を引き出すことができる. これらの内容は, 「多様な互酬性」が社会政策における配分原理という位置づけをはるかに超えて, ラディカルな社会変革の可能性を秘めた1つの社会構想ともいえる射程を有していることを示している.
  • 大正・昭和初期の<都市的>な祝祭体験
    右田 裕規
    2012 年 63 巻 2 号 p. 256-273
    発行日: 2012/09/30
    公開日: 2013/11/22
    ジャーナル フリー
    近代の都市空間において天皇家の祝祭はどのように人びとから意味づけられ, 体験されていたか. またその体験や意味づけは, 都市を構成するモダンな諸要素とどのように関連しあっていたか. 本稿は, これらの問いについて社会学的な視点からアプローチすることで, 天皇家の祝祭が近代化のプロセスにとって含んだ意義を再検討することを主題としている.
    とりわけ本稿が注目したのは帝都の祝祭体験がはらんだモダンで都市的な相貌についてである. すなわち大正・昭和初期の東京では, 天皇家の祝祭にかかわる意味と体験は<消費>という欲望・営みによって基礎づけられていた. 当時の東京にあって人びとの祝祭体験を第一義的に特徴づけていたのは, 天皇に祝意をささげる営みに没入・熱狂する<国民的>な態度ではなかった. 資本が提供するモノやサーヴィスに耽ることで祝祭のふんいきを傍観者的に楽しもうとする<消費者>としての態度のほうだった. 本稿では, この点について東京の近代的発展と関連づけつつ考察することで, 従来の国民国家論的な枠組みではとらえきれない, モダンで都市的な祝祭体験の所在をあかるみにしている.
  • 再帰性, エージェンシー・モデル, 自律性
    安達 智史
    2012 年 63 巻 2 号 p. 274-289
    発行日: 2012/09/30
    公開日: 2013/11/22
    ジャーナル フリー
    本稿は, 多文化主義をめぐる論争の1つの論点であるアイデンティティと文化の関係について, 「再帰性」という概念に着目して考察するものである. 多文化主義は, 多元化した社会における統合のための1つの政治的な指導原理である. だが, 今日, 多文化主義の社会的役割に対して, ――とりわけリベラリズムから――疑問や批判が投げかけられている. そこで焦点となっているのが, 文化とアイデンティティについての考え方である. 具体的には, 本質主義的な文化理解 (認識論) ,文化とアイデンティティとの関係のあり方 (正統性) ,そして文化の承認による個人の自律性の危機 (政治的帰結) に対する批判が存在している. 本稿は, これらの課題に応答するために, C. テイラーのアイデンティティ論を批判的に読み解くとともに, A. ギデンズの再帰的近代化論, S. アダチのアイデンティティ・マネジメント論, A. フィリップスの「文化」論, そしてP. リヒターマンのトーク論を参照に, アイデンティティと文化の再帰的な関係を描写する. それにより, 集団的文化と個人のアイデンティティとの関係は, 「発見」でも, 「選択」でもない, 「エージェンシー」を媒介にしてとらえる必要性があることを示す. その結果, 個人の「自律性」への配慮が, リベラルな社会において擁護可能な多文化主義の1つの条件となると主張する.
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